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2022 January - カーリング日本女子の世界台頭を陰で支えるカルガリアン

 日本女子カーリングナショナルコーチ J. D. リンド氏インタビュー

 カーリング女子の日本代表チームが銅メダルを獲得した2018年の平昌五輪から4年が経とうとしている。日本カーリング史上初のオリンピックメダル獲得に国中が沸き、日本は世界のカーリング強国に仲間入りしたとも言える。日本女子は2014年ソチ五輪で5位、2016年の世界選手権で2位と世界ランキングを徐々に上昇してきたが、この時期と重なったのがある若いカナダ人カーリングコーチの来日だった。今は日本女子カーリングナショナルコーチを務めるJ.D.リンドは生粋のカルガリアン。次期北京五輪を控えた昨年10月末、ジャパナビはリンドコーチにカルガリーカーリングクラブで話を伺う機会を得た。
 待ち合わせ時間きっかりに現れたJ.D.リンドコーチはスポーツ選手のような佇まいだった。まだ30代半ばで、彼自身ジュニア選手としてカナダカーリング界で活躍していたのだから無理もない。コロナ禍で18か月間も離れ離れになっていた日本女子代表選手たちとカルガリーでトレーニングをやっと再開したばかりとのことで、練習の合間を縫って駆け付けてくれた。
 日本代表は9月に開かれたオリンピック日本代表決定戦で選ばれたばかり。チームの司令塔の役割を果たすスキップの藤澤五月率いるチームは吉田知那美、鈴木夕湖、吉田夕梨花、石崎琴美(リザーブ)から成り、日本国内ではチーム「ロコ・ソラーレ」として活躍してきた。石崎を除く4人とリンドは2018年冬季五輪も一緒に臨んだ馴染みの深い仲だ。12月にオランダで開かれる五輪最終予選に向けてカルガリーで合宿を行っていた。

カーリングとの偶然の出会い
 カルガリーで生まれ育ったリンドがまず氷上に立ったのはアイスホッケーを始めた5歳の時だったと言う。カーリングは小学校6年生の時、たまたま学校のカーリングプログラムでやってみたことがきっかけだった。カーリング好きが周りにいたわけではなく、また小学校でカーリングができるのは当時も今も稀だそうだから、まさに偶然の出会いだった。面白半分で続けていたのが、わずか2年後の14歳の時にアルバータ州ジュニア選手権(17歳以下)で優勝してしまう。そこから真剣にカーリングに打ち込むようになった。「小さい頃からホッケーが大好きだったけど、たまたま始めたカーリングがすぐ身に付いて、どんどん上達してしまい、ある時気づいたらホッケーよりもカーリングの方が好きになっていたんだ」と振り返る。
 選手からコーチに転身したきっかけもまた巡り合わせだった。リンドを含む親友4人組が作ったカーリングチームは、カナダのジュニア界でトップを争う地位に上り詰めたが、リンドだけが他の3人よりも一歳年上だったため、1年早くジュニアを引退せざるを得なくなったのだ。「みんなはまだ20歳でもう一年ジュニア選手権に出場できた。僕はカーリングコーチの資格を取って子供に教えていたことがあり、チームはコーチがいないと大会に出られないので、僕がコーチになる事になった。僕は親友とつるんでいたかっただけで、コーチを職業にするなんて思ってもみなかったけど、その年僕のチームは全国大会で優勝してしまい、そこからコーチの依頼が舞い込むようになった」と、21歳にしてプロのコーチに転身した経緯をリンドは語る。

アルバータが日本でカーリングを広める
 現代の日本にカーリング文化が根付くきっかけを作ったのはアルバータ州だった事を知る人は少ない。北海道と姉妹都市関係を1980年に結んだアルバータ州政府は、親善交流の一環として冬季スポーツのカーリングの講習会を北海道で行ったのだ。これが発端になり、カーリング文化が北海道や日本の一部で根付き、北海道北見市(旧常呂町)は今では日本のカーリング聖地として知られるようになった。それ以来、カナダから日本にカーリングを教えに来るカナダ人選手やコーチは後を絶たない。
 リンドもまたアルバータ州政府の仲介を経て、2013年に日本にやってきた。トップ選手育成を目指し、北海道女子カーリングアカデミーを設立しようとしていた北海道庁からヘッドコーチに就任しないかとの打診があったのだ。当時28歳だったリンドはカルガリー以外の土地に住んだことも、日本を訪れたこともまだなかった。仕事の面接は全てスカイプを使って行われ、オファーを受けた後で初めて3日間だけ日本に呼ばれ、新しい上司との顔合わせやアパート借りる手続きをしたと言う。「うまく行くと信じるしかなかった。日本に行ったことのある人さえ知らなかったんだから。でも若かったし、アレックス(当時付き合っていた女性で今の妻)は一度海外に住んでみたいと憧れていた。仕事は2年契約だったけど、1年間で契約解除できる条件付きだったから、うまく行かなければ1年で戻って来ればいいよって二人で決めた」とリンドは笑って話す。
 結局のところ二人は札幌に2年間半住み着き、札幌の美しい街並みや都会にしてはゆっくりしたペースがすっかり好きになったと言う。二人はリンドの職場となった、どうぎんカーリングスタジアムからすぐ近所のとんかつ屋の2階に部屋を借りた。町の中心部からは外れていたこともあり、他に外国人が見当たらず、英語が全く通用しない環境に驚いた。まだ日本語がわからなかった当初は手探りの生活だったが、リンドが働く間にアレックスは日本語学校に通い、生活に不自由しない程度の会話や読み書きを間もなく身に付けた。日本食の味もしめて、特に札幌ラーメンが大のお気に入りになったし、アパート1階のとんかつ屋にもよく通ったと言う。
 リンドは北海道女子カーリングアカデミー時代に、今のチームジャパンのメンバーである藤澤五月や吉田知那美などの女子トッププレーヤーとの関係を築き始めた。道内の大学を含む多数のチームを指導したが、藤澤のロコ・ソラーレに最も大きな将来性を感じた。吉田がロコ・ソラーレに加わる前に出場した2014年のソチ五輪では、リンドは日本代表のアシスタントコーチを務めた。
 北海道女子カーリングアカデミーは2016年に閉じられたが、これと同時に日本カーリング協会からナショナルコーチに抜擢され現在に至る。ロコ・ソラーレや北海道銀行といった日本屈指のトップチームに指導を行うようになるが、ロコ・ソラーレとは2016年世界選手権(銀)と2018年平昌五輪(銅)の喜びを分かち合った特別な仲だ。そして今また北京冬季五輪に向けて、リンドとロコ・ソラーレの強力タッグが組まれている。

リンド流コーチの哲学
 2013年の初来日以来、数々の世界大会で日本女子チームを上位に導いてきたリンドだが、このカナダ人コーチの成功の秘訣はなんなのだろう?リンドはカナダで合宿を行うことの重要性にまず言及する。「世界最高峰を目指すなら、世界のトップチームとの試合をなるべく多くこなすしかない。カナダではカーリングの国際大会が多く行われるし、国内外の世界列強チームがトレーニングにもやってくる。日本にはない環境なんだ。今日の練習が良い例。僕たちのすぐ横でジェニファー・ジョーンズ(カナダ、11月時点で世界ランキング4位)やシルヴァーナ・ティリンゾーニ(スイス、世界5位)がプレーしているんだ。こうしたトッププレーヤーに囲まれていると、常に自分の限界を試さざるを得ないし、大きなモチベーションにもなる。」そしてカナダにいると日本のファンやメディアから注目されることなくトレーニングに集中できるという利点もあるそうだ。
 さらにリンドは日本人とカナダ人のカーリングに対するアプローチの違いについても触れる。日本人はカーリングが芸術であるかのように完璧なショットやフォームを求めて毎日練習に打ち込むのに対し、カナダ人はプロでも練習を毎日行うことはないと言うのだ。日本ではプロにスポンサーが付くのでフルタイムでスポーツに打ち込むことが可能なのもある。でもそれ以前にカナダでは、試合を重ねることで上達を図ることが普通であり、技術的なドリルばかりに数時間を費やすことはないそうだ。
 リンドコーチはこのように語る。「全く違うアプローチでどちらが良いと言うわけではない。僕が初めて日本に行った時、あまりにもフォームが重視されることに戸惑った。カナダでは全くないことだから。練習にかける情熱は素晴らしいと思うが、結局はいくら綺麗なフォームでストーンを滑らせたからって試合に勝たないと意味がない。僕は日本人がどのようにカーリングを学んでいるのかをまず観察し、自分の学び方とどう違うのかをしっかり理解することから始めた。僕はロコ・ソラーレと共に、日本のやり方の良い部分を全てキープしつつ、その上にカナダから見習える部分を足して、二者の中間だけどそのどちらよりも優れた独自のアプローチを見出してきた。こう言うと簡単に聞こえるかもしれないけど、理解に苦しんだ時だってあった。今でさえ、ふとした際にチームの見方と僕の見方が異なることに気付くことがある。そんな時はお互いその違いについて話し合って一緒に解決策を見出していくんだ。」
 これがリンドのコーチング哲学なのだ。まず選手と対等の立場に立ち、選手のやり方をしっかり観察し、選手の意見に耳を傾け、意見交換の末に指導する柔軟な姿勢。自分のチームが世界一になるだけの能力や才能性を秘めていると固く信じているので、決して上から目線にならないのだ。「僕がコーチだからといって僕のやり方が正しいとは限らない。選手たちの考え方を尊重できるようになるまでには時間がかかるものだ。ロコ・ソラーレとはとても長く一緒にやってきたからお互いをとても尊敬し合うようになったし、もう僕にはアルバータやカナダのスタイルを教えているとの自覚はない。僕たちが一緒に築いたものは世界無二で、他には真似ができないものなんだ。」
 カーリングでは一度試合が始まるとチームとコーチ間の細かなコミュニケーションは取られない。コーチはガラスの向こう側で見ているだけで、約2時間半の試合中に作戦協議を行うチャンスは、7分間の休憩が一度と1分間のタイムアウトが最大2回しかないのだ。「だからこそコーチはチームが自ら作戦を練って最善策を導き出せるよう日頃から指導するべきなんだ。トップダウンで指示を出すばかりでは、いざ試合になると役に立たない。僕は日本に来て選手達に『君はここでどうしたらいいと思う?』と尋ねることを良くしたが、自分の意見を求められることに驚く選手を多く見た。慣れていないんだね」と指摘する。
 ナショナルコーチになってからはコーチに対する指導も行ったが、若い外国人が来て全く新しいやり方を紹介することへの抵抗も特に最初はあったそうだ。「日本に限ったことではないよ。新しいやり方にオープンで熱心に話を聞いてくれるコーチもいれば、自分には自分のやり方があるからそれを変える気はないと言うコーチもいる。それはそれで僕は構わない。でも柔軟な姿勢のコーチは伸びて行くよ」と語る。リンドが日本に来たばかりの頃は年配男性のコーチがほとんどだったが、今では女性や若いコーチも見かけるようになったと言う。
 過去6度の冬季五輪のなかで、カーリング強国のカナダ女子が表彰台に登ることがなかった唯一の大会が、日本が初メダルを獲得した2018年の平昌大会だった。日本がカナダと競合するようになり複雑な心境かと尋ねると、リンドは「僕はカナダ人であることに誇りに思うけど、日本は僕にナショナルコーチのオファーをくれた。僕はその仕事を受けたのだからそれを全うするのは当たり前だ。ロコ・ソラーレの選手たちとは、もう8年間もの付き合いで家族同然の存在だ。彼女たちのコーチを続けることができて光栄に思うし、彼女たちの成功のために最大限のことをしたい」と答える。そして肩をすくめ、「カナダの手助けをするべきだと言う人もいるけどもう慣れた。それだけ僕のコーチングを評価してくれているということだからかえってお世辞だね。それにカーリング・カナダからコーチの誘いを受けたことは一度もない。本当にやって欲しかったらそのうち電話がかかって来るさ」と笑う。
 まだ30代のリンドのコーチ人生は先が長い。カナダのカーリング界が彼をナショナルコーチに抜擢する前に日本はあといくつのオリンピックメダルを獲得できるだろうか。

文:小林りん





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