JAPANとALBERTAから、JAPANAB(じゃぱなび)と名付けられた無料タウン情報誌。
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2020 January - 通訳にオンリーワンの答えはない!寿園雪絵

 外国語は海外に住むだけで簡単に身につくものではありません。また海外に住みながら我が子に日本語教育を行うことは、想像を絶する親の忍耐と子供のやる気が必要と言います。では多言語のプロフェッショナルはいかに言語習得したのでしょうか?
 日本語・英語のフリーランス通訳者として、カルガリーを拠点に世界を舞台に活躍する寿園雪絵さん。使いこなす言語は日本語、英語、フランス語、ドイツ語、インドネシア語となんと5か国語。日本メディアによる各国首脳へのインタビュー、国際機関の対談通訳や大臣の同行通訳などの国家レベルの通訳から、金融、IT、日本文化、美容、ファッションまであらゆる分野をこなす稀有なオールラウンダー。彼女の人生の軌跡をたどり、ご両親からのバイリンガル教育の秘訣を伺いました。

幼少時からの海外生活で母親から受けた日本語教育
 父親の仕事の関係で1歳前から海外生活でした。最初はシカゴに4年間、そしてニュージャージ―に4年間。日本での教育内容に遅れをとらないように、現地校の他、日本人補習授業校に通い、日本の通信教育も受け、さらに参考書や問題集で勉強していました。駐在員の宿命なのですが、いつ帰国辞令が出るかわからない。当時から日本にはイジメ、校内暴力やそれによる自殺という問題がありました。
帰国子女として日本に帰った際に、外国かぶれと虐められるのではないかと心配した母親が、とにかく日本語の発音と勉強に厳しかったです。
 母親の教育方針は、「外で良く遊び、家でしっかり勉強し、夜7時に就寝」というものでした。テレビは週末の夜だけ。日本語放送で「一休さん」を見るのが、唯一の楽しみでした。海外の大きな都市には日本の本屋さんがあり、我が家では雑誌、漫画を含め日本語の本なら何でも週に3冊買って良いというルールで、「平凡」や「明星」などのアイドル雑誌を必ず買って貰っていました。日本で流行している歌謡曲を現地で聞く方法がなかったため、雑誌付録の楽譜をピアノで弾いて「こんな歌なんだ」と想像を膨らませていました。そのうち日本から歌謡番組の録画ビデオを送ってもらえるようになったり、ウォークマンが流行ったりして、現地でも日本の歌謡曲を聞けるようになりました。望郷の感情も手伝い、日本語を大切に味わい、覚えて歌う。歌詞を見て漢字を学び、情景を目に浮かべて覚えました。
 毎晩母親が夕食の準備をしている傍で、教科書や日本語の本を音読するのが日課とされていました。母親から、「発音が違う。もっとゆっくり。正確に。もう一回」といった具合に注意を受けながら日本語を学びました。母親は教育と言うより、娘が日本に帰って困らないように、日本で育った子供達と同じように日本語が話せるようにと、懸命に教えてくれました。この習慣が出来て、ドイツでは自分で音読するようになりました。ただ今思うと、自分に息子がいるから分かるのですが、男の子に同じようにじっと音読させるのは結構難しいかもしれませんね。

父親との日課は英語のプレゼンテーション
 父親の転勤で9歳の時にドイツのデュッセルドルフに移り、全日制の日本人学校に6年生まで在籍しました。ここは当時の文部省の許可を得た、日本の教育制度を踏襲する日本人学校。またドイツ語は近所の同年代のお友達と遊んでいるうちに1カ月ほどで話せるようになりました。
 ドイツに移ってからは、英語を忘れないようにと父から新しい日課を課されました。英語の本を読み、父親の前で内容の要約を英語で10分間プレゼンテーション。最初はスヌーピーの漫画から始まりました。出来栄えに関係なく、終わると5マルク(当時500円)貰えました。母は勉強の報酬にお小遣いを渡す事に反対しましたが、父親から「僕はモチベーションを上げる方法はお小遣いしか思いつかないですが、貴女にもっと良い方法があるならそうしましょう」と言われ、思いつかなかったようです。毎日の事だとさすがに面倒で、伝記など元々内容を知っている本をなるべく選んでいました。父はそれを承知でしたが、活字を見て文章の要点を抜粋し、自分で工夫して覚えた内容を発表するということを日々こつこつやるのが大切だという考えでした。また加えて、妹と一緒に毎週一時間イギリス人の先生から日常英会話のプライベートレッスンを受けていました。
 父親のパリ赴任に伴い、中学一年から、フランスのアルザスにある全寮制の成城学園の分校アルザス成城学園中等部に入学し、日本の成城学園と同じカリキュラムで学びました。必修の英語に加え、中学ではドイツ語を週6日、高校からはフランス語を選びました。夏休みを利用して日本の成城学園に短期で編入する事はありましたが、日本に長く住んだのは大学の4年間だけです。

日本での大学生活もつかの間、インドネシアに赴任
成城大学に入学し、当時華やかだったマスコミ学科を専攻しました。私はスポーツが大好きで、特に水泳が得意。大学時代は東京のスポーツクラブでスイミングコーチや、ウオーターエアロビクス指導のアルバイトをしました。この時はじめて、日本の縦社会を体育会系の先輩方から学びました。
 就職は採用のオファーがあった航空会社か、銀行のどちらかで迷いました。「その仕事が好きで続けたいと思った時に、長く勤められる仕事がいいね」という父親のアドバイスで、第一勧業銀行(現みずほ銀行)に就職しました。

銀行員時代の経験が通訳の礎
 はじめから海外勤務志望で、入行後すぐに日本人駐在所長代理として、インドネシアのジャカルタ支店に赴任しました。右も左も分からず、ゼロから上司に教育して頂きました。まずは日経新聞を読み、株の銘柄を二つ選んで、株価の動向の勉強。仕事場は英語環境ですが、現地の顧客獲得にはインドネシア語が必要でした。インドネシア語は比較的文法が簡単だったので、単語をとにかく覚えてコミュニケーションできるようになりました。2年後、シンガポール支店に資金運用投資部門のインベストメントバンカーとして赴任し、そこでもまた2年間弱勤めました。銀行員時代に融資対象企業に対して行う徹底的な信用調査を通してあらゆる業界の動向や経営を分析して身につけた専門知識が、現在私が多岐にわたる分野の通訳をこなす礎になっています。

ほんの手助けのつもりから、通訳者の道へ
 結婚を機に退職し、そのままシンガポールに滞在していました。ある日突然、在シンガポール日本国大使館から電話があり「金融に知識の深い寿園さんに国際通貨基金(IMF)のチェアマンであるインド財務大臣との会議での日系企業の通訳をお願いしたい」との依頼が舞い込みました。そんな重要な会議の通訳を引き受ける経験も自信もないと最初はお断りしましたが、三度もご連絡いただき、最終的にはお役に立つならとお引き受けしました。これが最初の通訳のお仕事でした。
 その後このインド財務大臣のご紹介で、日本の省庁や在シンガポール日本国大使館の方々などからの通訳の依頼が増え、また通訳業界の老舗として最も知名度の高いサイマルからの依頼でビジネス通訳もするようになりました。

子供の将来のためにカナダ移住
 子供の教育といえば、シンガポールほど過酷な所はありません。小学校低学年から多方面かつ高度な内容の勉強に取り組みます。もっとゆっくり広い視野で育てたいという思いがありました。また子供に英語圏でしっかりした英語の発音を身につけて欲しかったこともあり、2008年にカナダに移住しました。私自身が子供と過ごす時間を大切にしたかったことから、子供達が小さい頃は仕事量を減らしていましたが、子供の手が離れた2年程前からまた通訳のご依頼を受けるようになりました。

通訳はアート
 「逐次通訳」は話者と通訳者が交互に話す形式の通訳です。キーワードをメモしながら、点と点を繋ぐ感じで行います。それに対して「同時通訳」は相手の話を聞きながら、同時に訳していきます。聞きながら訳す特殊な能力が必要と言われますが、私は同時の方が楽です。
 今思い返せば、小さい頃からの海外生活にて母親と現地の人々との通訳をしたり、現地校で先生に頼まれて日本人新入生と周囲の人々とのコミュニケーションを助けたり、幼い頃から通訳をやっていました。大切なのは正しい日本語が使える事です。美容やファッションなどクリエイティブな話の通訳をすると特に実感するのですが、通訳業はアートなんです。オンリーワンの答えはなく、いかに相手の意図を上手く伝えるかがプロの通訳。数ある言葉から選ぶセンスが大切です。

 どの有名人の通訳をしてみたいか、ですか?是非ともジョン・ボン・ジョヴィの通訳がしたいです!


じゅえん・ゆきえ
 東京都生まれ。幼少期をアメリカ、9歳からドイツ、13歳から高校卒業までをフランスで過ごす。1991年日本に帰国し、成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科に入学。大学卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)に就職し、ジャカルタ駐在員事務所所長代理 、シンガポール支店のインベストメントバンカーを務めた後、1998年結婚を機に退職。1998年から1年半、日系企業のシンガポールでの物流部門の立ち上げをサポート。1999年から日本語・英語通訳を始める。同時通訳、逐次通訳、会議通訳、日系企業の同行通訳、メディアインタビューに対応。専門分野は多岐に渡り、政府・規制当局関連、金融、IR投資家訪問、美容、ファッション、製造、教育、IT等。2008年にカナダに移住。在シンガポール日本国大使館認定通訳、The Translators代表取締役、(株)サイマルインターナショナル同時・会議通訳、在カルガリー日本国総領事館登録通訳。




1 件のコメント:

  1. 素晴らしい…。こんな人が世の中にはいらっしゃるのですね。

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