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2019 April - 政治じゃぱなび - ウィルソンレイボールドを撃て!

 近ごろ、ジョディ・ウィルソンレイボールドという女性の存在がとても気になっています。SNCラバランをめぐるスキャンダルのことは皆さんのお耳に届いているでしょうか?
 SNCラバランはケベック州に本拠地をもつカナダの建設会社で、全国で9000人もの従業員を雇用している大企業です。同社は2001〜2011年、リビアでの事業展開に関して現地の政府関係者に賄賂を贈った疑いがもたれています。もし有罪が確定すると裁判所による処罰の他、贈収賄防止に関する規則により、今後10年間はカナダ連邦政府の公共事業に入札できなくなります。それは当然ながら同社の事業に大きな打撃を与えるでしょう。
 この贈賄容疑に関する裁判の手続きが進んでいた今年2月、カナダ全国紙グローブアンドメールが7日付で、昨年9〜12月にかけて当時の法務大臣兼司法長官ジョディ・ウィルソンレイボールド氏が、ジャスティン・トルドー首相などから同容疑に関する裁判を打ち切る司法取引に応じるよう圧力を受けていたとする特ダネ記事を掲載。この報道に端を発し、一大政治スキャンダルに発展しました。一時は「トルドー内閣は総辞職するのではないか?」と興奮してしまったじゃぱなび編集長がこの原稿の締切りを伸ばしてくれるほど、現政権に激震をもたらしました。


一大政治スキャンダルを紐解く
 ではこの問題、どうしてこれほど多くの人々の注意を引き付けているのでしょうか?第一はスキャンダルの引き金を引いた人物ジョディ・ウィルソンレイボールド氏が先住民出身の女性政治家であるというポイントです。2月下旬、ウィルソンレイボールド氏が連邦議会の司法委員会でSNCラバランについて証言する姿をテレビ中継でご覧になった方も多いのではないでしょうか。彼女はブリティッシュコロンビア州の先住民族出身で法律家です。女性の権利平等や先住民族の尊重を政策に掲げるトルドー首相が2015年の政権発足時、法務大臣という主要ポストに彼女を抜擢し、新政権の目玉人事の一つとして話題を集めました。
 彼女の司法委員会での証言は具体的かつ明解な言葉で語られ、曖昧な言い回しで核心的な事実をごまかすような態度は全くありませんでした。彼女はトルドー首相を含め、政権中枢や首相府のスタッフから昨年9〜12月の間に様々な圧力を受けたことを訴えました。その姿は堂々としたもので、また先住民族の誇りに満ちたものでもあり、多くのカナダ国民に強い印象を残しました。
 ではウィルソンレイボールド氏はトルドー政権にどのような衝撃をもたらしたのでしょうか?SNCラバランが有罪となると特に同社本拠地のケベック州で経済的な混乱を引き起こすことを首相やその他関係者が深く憂慮していたことが、ウィルソンレイボールド当時法相の証言の中で繰り返し伝えられました。同社がケベック州で多数の雇用者を抱えていること、そしてケベック州は与党自由党の牙城であることを考えれば、与党関係者から見れば当然の働きかけだったのかもしれません。もし同社の有罪が確定すれば事業閉鎖や会社自体の売却、9000人のカナダ人の雇用喪失、関連業者の連鎖倒産、地域経済への打撃など様々な悪影響が及ぶかもしれないとの警告が彼女に対し複数回なされたというのです。
 これは大事な与党選挙基盤のケベックに関する相談だったのでしょうか、それとも「協議」や「警告」という名のもとに行われた司法長官の職権行使に対する圧力だったのでしょうか。首相やその周辺からの「失敗は許されない最重要案件なので配慮を求める」という要請に対してウィルソンレイボールド氏は、司法長官の判断は政治から独立して行われるべきであり、SNCラバランの犯罪訴追はカナダの国益に適っており、特別な配慮をすべきではないと拒否したのです。
 そういう彼女に対してトルドー首相は、昨年12月に行った内閣改造で彼女を法務大臣から復員軍人大臣兼国防副大臣に左遷し、法務大臣の後任にはケベック州モントリオール出身者を任命しています。その後、ウィルソンレイボールド氏は2月12日に内閣辞任を発表した上で、連邦議会の司法委員会においてトルドー首相からの圧力について証言を行ったのです。この証言だけでも十分注目に値したのですが、彼女に圧力をかけた首相周辺者の一人とされるトルドー首相の長年の盟友である秘書官が辞職し、さらにウィルソンレイボールド氏と親しかった女性閣僚もこの一連の騒動で政府に対する信頼を失ったとして辞任し、泥仕合が続いたことからスキャンダルが拡大していったのです。


10月の連邦議会総選挙への影響はいかに
 第二のポイントは、今年10月に予定されている連邦議会下院選挙への影響です。このスキャンダルはトルドー首相本人だけでなく、与党自由党のイメージダウンにもつながったと見られ、次期選挙での与党議席獲得数が減るかどうかが注目されています。つまり政権交代が起こる可能性が浮上しているのです。特にアルバータ州では基幹産業である石油ガス業界がトルドー政権発足以来、色々と苦い思いをさせられてきたという思いが浸透しているので、政権交代の可能性を感じさせるスキャンダルに対して無関心ではいられないのです。とは言え、選挙への影響は地域や支持者グループによって様々な思惑が錯綜しているので見極めることは困難です。
 例えばケベック州ではSNCラバランを救済すれば好意的に受け止められ、議席確保につながる可能性があることは否定できません。そして皮肉な見方をすれば、現自由党政権の政治成果は乏しく、スキャンダルがなくても国民の期待は下がっていたので、これ以上は失うものはないという開き直りもあるかもしれません。それから「正義はどうあるべきか?」という議論とは別に、 外国人に対する賄賂疑惑よりもカナダ人の雇用を守ることを政権与党や一国の首相が優先させる姿勢を評価する人がいても不思議はありません。自国第一主義は最近の流行でもありますから、遠いリビアでの出来事よりカナダ人の生活に高い関心が集まることはあるでしょう。


男を下げたトルドー首相
 ところでトルドー首相自身も男を下げました。訪日時に彼を見た日本人の多くは、彼の若く所謂イケメンの姿に、首相というものは海千山千の政治家で年寄りのオッサンがなるものという通常概念が覆された思いをしたはずです。しかし、このスキャンダルへの対応はそうした好印象に味噌をつけてしまいました。
 ウィルソンレイボールド氏の議会証言の日、トルドー首相はオタワを離れ、彼を温かく迎えてくれる地であるモントリオールに向かいました。そこで記者団に対して彼女の証言には賛成できない点があるという漠然とした短い意見を表明しただけでしたが、私はその対応は大きな失敗だったと見ています。彼女の証言は嘘であるとか、解釈の間違いであるとか、オタワに留まり具体的な反論をするのが有効な対応だったのです。それをしなかったトルドー首相の態度は、厄介な問題への言及を避けたのではないか、或いはウィルソンレイボールド氏に図星を刺されたのではないかという憶測を広げることになりました。さらに相手が女性あるいは住民族出身だったから真摯に対応をしなかったのではないかという憶測すら持たれてしまいかねません。
 自由党が2015年に政権を奪取した時、トルドー首相は透明性のある誠実な政府を作るという目標を掲げていました。そのことを思い起こしていたなら、彼はもっと別の対応ができたかもしれません。大切なカナダ人の雇用を守ろうとして判断を誤ったと率直に謝罪することもできたはずです。女性や先住民族の尊厳を軽く見ているという印象が広がるのは、彼にとっては致命的なことであるはずです。
 では彼は一連の対応で後悔の念とウィルソンレイボールド氏への謝罪を口にしたでしょうか?実はトルドー首相にとって涙ながらに謝罪を行うことは、彼の清新さをアピールする上でのひとつの政治スタイルになっているのです。スキャンダルが燃え広がっている最中の3月7日にオタワで、カナダ連邦政府がイヌイットに対して1940年から1960年に行った不当な扱いについて、トルドー首相は後悔の念を示して謝罪しています。それだけでなく就任後に度々連邦議会で公式謝罪を行い、誠実さをアピールしています。日本の「駒形丸」という船に乗って1914年にカナダに到着したインドからの移民希望者の入国について不適切な対応があったことを彼が公式に謝罪したことを記憶している方もいると思います。
 このイヌイットに対する公式謝罪の機会に、ウィルソンレイボールドに対しても謝罪を述べてスキャンダルの流れを変えるのではないかという観測もありましたが、実現されませんでした。その結果、トルドー首相は自政権が関係していない歴史的な問題についてのみ潔く謝罪するのだという良くない印象だけが残ってしまいました。
 このスキャンダルの落ち着く先はまだ分かりません。興味深いことに、トルドー首相と決別して閣僚を辞任したウィルソンレイボールド氏は10月の総選挙に自由党候補として出馬する意向を表明しています。それに対してトルドー首相は彼女を公認候補とするかどうかを、この原稿執筆時点でまだ決めかねています。自由党にダメージを与えてしまった彼女に、彼女のバンクーバー選挙区の有権者はどのような反応を示すのでしょうか。果たして彼女は正義を貫いた英雄なのか、それとも国益を考えない狭隘な視野しか持たない法律家なのか?総選挙の結果までに人々の評価が固まるのだと思います。これからもまだまだ注目していきたい存在です。
*この記事は3月12日時点の情報に基づいて書かれたものです。

風谷護
カナダ在住は20年を超える
エネルギー産業界のインサイダー。
趣味は読書とワイン。





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