JAPANとALBERTAから、JAPANAB(じゃぱなび)と名付けられた無料タウン情報誌。
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1月1日、4月1日、7月1日、10月1日に発行される季刊誌です!

2019 April - 吾十四にしてパイロット志す 長瀬道広

 皆さんは中学生の頃、明確な将来の夢がありましたか?部活や受験など目の前のことで精一杯だったのではないでしょうか?孔子は15歳にして学問を志したと言いますが、それよりも早く14歳にしてパイロットを目指す確乎不抜の決意をした長瀬道広さん。経済的に厳しい家庭環境にありながら夢は必ず叶うと信じてその可能性を探り、パイロットになる道を突き進みました。貧困の中にも明るく笑いある人生を歩まれた長瀬さんに一年越しの取材依頼の末、ウェストジェットの寛大なご協力の下ついにインタビューに漕ぎつけました。

2歳の時に父親が蒸発
 私の父親は職を転々とし、私が2歳の時、多額の借金を残してある日突然家に帰って来なくなりました。当時社宅に住んでいた母と私は転居を余儀なくされ、台所・トイレ共同、風呂なしのボロアパートで母親との二人暮らしが始まりました。極貧だったので、雪でもランニングと短パンを着てるような子でした。母親が生計を立てる為、仕事を掛け持ちしていて家にほとんどいなかったので、小学校低学年の頃からは、一人で過ごすことが多かったですね。その頃から自炊するようにもなりました。母親は気ままにやっていたので、私も自分の判断で行動することも多く、小学生ながら一人暮らしのような生活をしていました。そんな中で自分自身でやる事を決めていく、という考えが培われたのだと思います。金銭的に余裕のない母子家庭での生活で母は大変だったと思いますが、自分にとっては普通だと思っていたので辛くはなかったです。女手一つで育ててくれた母には感謝しかありません。
 小学3年生の頃だったか、突然父親が帰って来たことがありました。ゲームセンターで好きなだけ遊ばせてくれた翌日、「やっぱり無理。ごめん。」という置手紙と少しのお金を残して、またいなくなりました。それ以来、父親とは一度も会っていません。私と母親との関係は良好で、小さい頃から対等に何でも話し合い、家計もすべて把握していました。中学生の頃から母が週末にやっていた家政婦の仕事を手伝い、将来に向けてお金を貯め始めたのもこの頃ですね。

学ラン着て弟の育児
 高校時代には母と恋人の間に子供が出来て、母と弟との三人の生活になりました。母親は産後一週間で仕事に戻らなければ食べていけなかったので、学ランを着た私が弟をおんぶして託児所や病院へ行くと、「お父さん!」と呼ばれて恥ずかしかったのを覚えています。よく道を外さなかったねと言われますが、揺るぎない夢があったし、グレるってお金かかるんですよ。パイロット免許の取得の為、1円でも多く貯金をしたかったのでそんな余裕はなかったですね。

銭湯帰りの星空を眺めながら将来を決意
 1990年、私が14歳の時、TBSの記者だった秋山豊寛さんが初めて日本人宇宙飛行士として宇宙へ行ったというニュースを見て、衝撃を受けました。銭湯の帰り道、大好きな星空を眺めながら「これだ、宇宙飛行士になりたい!」と胸が熱くなりました。さっそく、中学校の図書室に行き、宇宙飛行士になるための本を探しました。宇宙飛行士になるにはいくつかルートあって、ジェット機で機長の飛行時間が1000時間あればNASAに申請出来るとあったので、まずはパイロットになることを決意しました。色々と調べた結果、日本航空高等学校というところを見つけました。しかし学費が2000万円以上と半端なく高い。他の方法でパイロットになるしかない、と別の道を模索し始めました。母は、「お金は出せないけど、あなたのやりたい事は全力で応援するよ!」と任せてくれました。どのような方法でパイロットになるにしろ、まとまった資金が必要になると思ったので、バイトを掛け持ちして貯金をしながら、奨学金で商業高校の情報処理科を卒業しました。私の夢を応援してくれた母でしたが、2006年に肺がんで他界してしまったので私がパイロットになった姿を見せることも、5人の孫たちに会わせることもできなかったのでそれだけが心残りですね。

カナダの航空学校と出稼ぎの繰り返し
 日本の場合、自社養成パイロット、つまり大学卒業後に航空会社に入社し、社内の訓練でライセンスを取得し、パイロットになるのが王道。ただ、この道でパイロットになると、訓練後最初からジェット機に乗務し、その後は同じルートを飛び続ける定期便の仕事をすることになります。これでは、どのような状況にも瞬時に対応できる経験豊富なパイロットになれるかどうか疑問を持ちました。自分が望んでいるパイロット像とはちょっと違う。そんな時に海外では最初から航空会社に就職せずに小型機操縦士資格を自力で取得し、段階を踏んで最終的にジェット旅客機のパイロットになれる道があると知り、その方法で自分の夢に挑戦したいと思うようになりました。当時、海外への航空留学では「日本の仲介業者による訓練費の横領詐欺」が横行していたし、簡単に資格を取れることをやたら売りにしていて信用に欠けていたので、世界の航空業界の中でも高い基準を満たす訓練、そして気候・地理的にも厳しいカナダの航空学校に仲介業者を通さずに自力で行くことを決めました。高校卒業後、まずはカナダに行って実際に学校を視察したい。しかし今まで貯めた資金では足りないので、いったん就職してお金めることにしました。
 最初は航空貨物をフォークリフトで下ろす仕事を一年間した後、生まれて初めて海外に出て、3カ月間かけてカナダの航空学校を探す視察の旅をしました。学校を決めた後、帰国し、完全歩合のバイク便をして訓練費を稼いで、1996年にカナダに戻り、1997年に バンクーバーのCentennial Flight Schoolで自家用操縦士免許を取得しました。その後、さらに違う空域での経験を積むためにオンタリオ州トロント北部にあるBrampton Flying Clubで事業用操縦士免許を取得。2000年バンクーバーに戻り、Canadian Flight Centreで教官資格を取得した後、そのままプラクティカムビザでインストラクターとしてプロのパイロットのキャリアをスタートさせました。スムーズにいったように聞こえますが、訓練中に資金が底を突く度に日本に帰国し、トラックの運転手やセールスの仕事をして訓練費を稼ぎ、航空学校に通うためカナダと日本を行き来する生活をしたので、学校視察でカナダに初めて来てから教官の職を得るまで4年以上掛かりました。
 ESLには行ったことがないです。私の考えとしては英語の勉強だけを目的にすると、モチベーションの維持が難しく、身につかない。でも飛行機の勉強はいくらやっても飽きないし、やればやるほど楽しい。英語がろくにできないまま航空学校に入学し、座学の授業では学校の許可を得て同じ授業を何度も受けさせてもらい、その中で英語を学んでいきました。英語は手段であって目的ではないと思うので。


経験を積んで大きな飛行機に
 2001年に教官の資格を取得すると、卒業後そのまま1年間有効なプラクティカムビザを取得しインストラクターとして働き、ビザが切れると雇用主にワークビザを2年更新してもらい、その経験を基に技能移民を申請しました。その後、永住権取得までに更に2年掛かったので、足掛け5年、教官職で飛行経験を積みました。2006年にエアアンビュランスの副操縦士として採用され、オンタリオ州ティミンズに引越しました。半年後、ニューブランズウィック州のモンクトン航空大学での機長昇格訓練を経て機長に。そしてその翌年、BC州とアルバータ州を繋ぐCentral Mountain Airへ、コミューター機(18人乗りのプロペラ機)の機長として入社。その後、機種転換で32人乗りのプロペラ機機長に。その会社には計5年間在籍。その間、シミュレーター教官、査察操縦士としてパイロットの資格更新の為の国家試験の試験官を務めました。
 2012年から5年間は、エドモントン拠点のCanadian Northという会社で、136人乗りのボーイング737型機のパイロットとして北極圏、カナダ全土、そして北米各地を飛びまわりました。北極圏へのフライトでは過酷な環境の中、僻地の砂利だらけのランウェイにジェット機で離着陸をする、という世界的にみても類まれな経験も重ねました。しかし油価暴落の影響でフライト契約が激減。そんな時に昔から憧れていたWestJetに移籍するチャンスがあり、2017年に20年来の念願叶って入社することができました。それまでの機長としての経験とシミュレーター教官の経歴を買われ、現在はDHC-8-Q400機の機長としてフライトをする傍ら教官として後進の育成・指導をしています。


空手で精神鍛錬
 子供の頃から「空手バカ一代」を読んでいたので、極真空手にずっと憧れを抱いていました。バンクーバーでの飛行訓練生時代に、極真空手世界大会出場歴もある中村龍志師範に師事し、空手道を通じた心身鍛錬にすっかりはまりました。地方大会を経てカナダ大会では2度優勝し、国際大会に出場するようになり、北米体重別選手権でも2度優勝することができました。そして2007年からカナダ代表として4年に一度開催される世界大会に2大会連続出場。世界大会のような大舞台で戦うと、もう何も怖くないですね。空手の試合はどんなに準備をして臨んでも不測の事態が起こることが多々あります。そういう経験を積んだお陰で、公私ともに何が起きても動じなくなりましたね。今の自分があるのは空手、そして中村龍志師範との出会い抜きには考えられません。
 今年1月にパノラマヒルズのコミュニティーセンターで極真空手から派生した誠勇会の道場を開きました。日本の武道精神・礼節を重んじ、厳しい中にも笑いのある指導を目指しています。


14歳で志を立てよ
 5人の子供達には、“14歳までに志を持たないと夢は叶わないぞ”と、自分の経験を元に話しています。とりあえず大学に行き、そのまま流れに任せて就職、となると、しばらく経ってから、これが本当に自分のやりたかった事なのかと、その時初めて自分の道を模索しなければならない。でもなるべく早い段階、例えば14歳で決めておけば、自分のやりたいことにより早く辿り着くことができる。我が家の方針は18歳で自立です。親からの資金的援助がないという前提で将来を考えないと、本気になれない。自分が稼いだお金でやりたいことに向かわないと、なかなか達成できないものです。少し高めの目標があった方が良い。私の場合、パイロットになれなかったらどうしようと思ったことは一度もないです。“なるものだ“と思い込んでいたので。宇宙飛行士の夢ですか?数年前、大西卓哉さんという私より一つ年上のANAの旅客機パイロットが宇宙飛行士になったので、私もまだまだいけるんじゃないかな。(笑)

プロフィール
長瀬道広 (ながせ みちひろ)
 1976年生まれ。千葉県出身。高校卒業後、1996年に来加。オンタリオ州で事業用操縦士免許を取得。バンクーバーで飛行教官として飛行時間と経験を積み、2006年にカナダ移民権取得。零下50度にもなる極寒の地でエアーアンビュランスパイロットとして経験を重ね、その後エアラインパイロットとして北極圏や北米各都市を飛び回る。2017年WESTJETに入社。前職での教官・試験官業務の経歴を買われ、現在はフライトの傍ら、シミュレーター教官として、パイロットの育成・監査業務に励む。総飛行時間9000時間。1男4女、5児の父。





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