JAPANとALBERTAから、JAPANAB(じゃぱなび)と名付けられた無料タウン情報誌。
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2021 April - 一山一会 石塚体一

 昨秋、じゃぱなび編集部に一冊の本が届いた。その本にはある日本の事業家が山岳ガイドに導かれてカナディアンロッキーの高峰マウント・テンプル登頂に挑んだ体験談が記されていた。その山旅を企画・提供したのがキャンモアを拠点にする「YM Tours Ltd./ヤムナスカ・マウンテン・ツアーズ(以下ヤムナスカ)」。ロッキー屈指の山岳エキスパートが集結する「ヤムナスカ・マウンテン・アドベンチャーズ」から2002年に分社し、現在はカナディアンロッキーやユーコン準州でのハイキング、キャンプ、ロングトレイル¹、オーロラの旅を専門に、日本人向けに個性的な山旅をプロデュースしているガイド会社だ。
 ヤムナスカ代表取締役社長の石塚体一さんは、登山ガイドの他にライター・デザイナーの側面もお持ちで、以前じゃぱなびに寄稿いただいたこともある。そんなご縁もあり、今回念願叶ってインタビューに応じて頂いた。


夢を叶えてくれた「ザ・ファイヤーメン」

 千葉県北東部にある銚子市に生まれ育ちました。3人兄妹で3つ上の兄と6つ下の妹がいます。両親は酒の小売店を営んでいました。サッカー、ゲーム、洋楽、ハリウッド映画が大好きな少年でした。高校卒業後はゲームをストーリーから制作する仕事がしたくて親に頼み込み、世界初と言われたゲームクリエイター養成専門学校「ヒューマンクリエイティブスクール」(現在閉校)に入学しました。母体が「ヒューマン」というゲームソフト開発の会社で、卒業制作カリキュラムで優れたアイデアと認められた作品は「学生作品商品化プロジェクト」に進む機会が与えられました。
 幸運にも自分の作品が選ばれ、卒業後もそのまま自分の作品が商品化されるプロジェクトに携わりました。スーパーファミコンから発売された「ザ・ファイヤーメン」です。業界一影響力のあったゲーム雑誌「ファミコン通信」で高評価を得て、年間賞を獲り、私にはゲームのデザイナーとして印税が入り、これで親に学費の一部を返すことができました。続編を作るためにそのまま就職を勧められましたが、今のタイミングを逃したら高校時代からの夢を叶えることは出来ないと思い、まとまったお金手にアメリカ・カナダ放浪の旅に出る事にしました。
 22歳で実現した3カ月間のアメリカ・カナダ横断バックパック一人旅。アメリカのヨセミテ国立公園、ザイオン国立公園、グランドキャニオン、そしてカナダのバンフ国立公園を訪れ、原生自然の持つ空気感に衝撃を受け、すっかり山の魅力にとりつかれました。特にカナディアンロッキーが印象的で、手つかずの大自然に触れたのは初めての経験でした。それが山登りに目覚めたきっかけです。結局合計で1年間半ほど世界を放浪し、インド、東南アジア、中国など様々な場所を歩きました。
 24歳でゲームプランナーの契約社員としてゲーム業界に戻りました。26歳の時に一緒にゲームを作った仲間と会社を立ち上げ、ゲーム開発の仕事を始めました。締切前は3日間徹夜が続く事があり、プロジェクトが終わるとまとめてお休をもらい、日本各地に登山に出かけました。


こたえは原生自然が教えてくれた
 28歳になって仕事の壁にぶつかりました。好きなことを仕事にしたのに、経営者となってから理想と現実のギャップに息苦しさを感じたのです。将来について迷いを感じていた時に、日本にロングトレイルを紹介した第一人者であるアウトドア作家の加藤則芳さんの本「ジョン・ミューア・トレイルを行く―バックパッキング340キロ」に出会いました。その後、縁あって友人となった彼の影響は計り知れません。実際に340kmのジョンミューア・トレイル(米・カリフォルニア州)を食料補給を4回しながら30日間で完歩しました。この喜びと達成感、そしてこんな感動体験をサポートする仕事がしたい!山を自分の人生の舞台に変えよう!こうして山の世界に飛び込む決意をしました。
 31歳で人生を賭けて臨んだワーキングホリデー生活。めったに広告を出さないキャンモアの山岳ガイド会社のヤムナスカがたまたま求人広告を出していて、運よくそれが妻の目に留まり応募しました。初代代表取締役社長の難波寛の企業理念と方向性がとてもしっくりきて、面接なのに1時間半近く語り合い、熱意をくんでもらい採用されたのが私とヤムナスカの始まりです。とはいっても、山岳ガイドとしてスタート地点に立つために必要な資格が少なくとも4つはあり、まだ英語もままならなかった私は尋常でない量の勉強をこなし、晴れて全ての資格を取得しました。しかしガイドの世界は年功者優先で、新米の私にはあまり仕事がありませんでした。移民申請が通るまで、キッチンスタッフの仕事でワークビザをもらい、頑張ってくれた妻に感謝です。
 他の収入源としてガイド仲間の秋山裕司と共に出版会社を運営しました。ここではバンフやウィスラーの日本語地図を作成して広告収入を得たり、「カナディアンロッキーの高山植物」や「カナディアンロッキーのハイキングガイド」という本も出版しました。オフシーズンは出版物に携わったり、ウェブデザインの発注を受けたりしながら生き延び、2013年からヤムナスカで念願のフルタイムスタッフになりました。2017年にジェネラルマネージャーに就任し、昨年11月には難波から会社を受け継いで代表取締役社長となり、取締役ジェネラルマネージャーの篠崎洋昭と共に新たに歩み出しました。


“一山一会”を合言葉に
 カナダを訪れる日本人のお客様にカナダの原生自然の山旅を提供する傍ら、日本の自然の美を世界に発信し、素晴らしさを伝えたいという思いが自分のなかで強まりました。日本には人が自然と共生してきた里山の魅力があります。日本を訪れる外国人向けの山旅を作りたいと、カナダと日本を何度も行き来し、日本の地元の人と交流を深めながら企画に力を注ぎました。
  その結果2015年からは信越トレイル、2017年からは歴史深い熊野古道トレイルの旅を毎年提供するに至り、大変ご好評いただきました。東日本大震災で甚大な被害を受けた三陸地方沿岸のみちのく潮風トレイルも魅力満載で、2020年からの開始を予定していましたが、コロナウイルスの影響で信越・熊野古道と共に開催は一時先送りになっています。いち早く状況が収束し、またお客様を安心してご案内できる日が来ることを心待ちにしています。
 サービス業は上限がないし、お客様は人それぞれ求めてるものが違います。だからこそヤムナスカでは“一山一会”の心を大切にしています。お客様のニーズを察し、押し付けることなく自然の魅力を感じてもらうのが、私達の目指すサービスです。私と同じ情熱を持ったトップクオリティーのスタッフに囲まれ、これからもカナダと日本の両方で、来て良かったと笑顔で帰っていただけるような山旅を安全にプロデュースしていきたいと思っています。これからの出会いが楽しみです。

取材・文/じゃぱなび編集部


プロフィール
 石塚体一(いしづかたいち)1973年生まれ。千葉県銚子市出身。 東京都武蔵野市にあった世界初のゲームクリエイター養成専門学校ヒューマンクリエイティブスクールを経てゲーム開発の道に進む。22歳の時に世界放浪の旅にでる。帰国後は同じプロジェクトの仲間とゲーム開発会社を設立。31歳で人生の舞台を山に変えるため、妻(久子)とワーキングホリデービザ制度を利用し渡加。カナディアンロッキーへと生活の場を移し、YM Tours Ltd./ヤムナスカ・マウンテン・ツアーズにガイドとして入社。2016年ジェネラルマネージャーに、2020年11月代表取締役社長に就任。


注釈
1.ロングトレイル - 登頂を目的とする登山とは異なり、登山道やハイキング道、自然散策路、里山のあぜ道、車道などを歩きながら、その地域の自然や歴史、文化に触れることができる「歩く旅」を楽しむために造られた道。







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