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2017 January - Until Next Time 心臓移植への道 森原大紀

 私は日本の大学卒業後、子供の頃からの夢だった海外留学をカルガリーで実現させました。そして、長い視野でカルガリーに住むことを考え始めた時に参加したのが、2011年冬に行われたジャパナビ主催の就職支援ガイダンスでした。就職の「し」の字も知らず、英語もまだまだ未熟だった私ですが、主催者のウエネンジャー美和さん、津野由夏さんらに優しくアドバイスを頂き、励まされた事を昨日の事のように覚えています。

青春のカルガリー
 ロッキー山脈の息を飲むような大自然、真冬に凍りつくボウ川、多種多様な文化と言語が入り混じる街、そしてカルガリー大学でのレスリングの毎日。私にとってカルガリーの全てが新鮮で刺激的でした。1年半の留学後、日本に帰国することが決まった時は「必ず数年後にはまたここに戻ってくる」と決意してカルガリーを後にしました。
 日本に戻ってからは、広島県内の私立高校教員として仕事を始め、担任やレスリング部の顧問など、忙しくも充実した生活を送りました。プライベートではイギリス出身の素敵な女性と出会い、将来二人で海外に住むことも本格的に考え始めていました。全てが順調に、そして当たり前のように前に進むと信じていました。



心臓移植への道
 体調の変化に気づいたのは2015年3月頃でした。咳が出始め、レスリングの指導中に体が重く、すぐ息が上がる感じがしました。徐々に咳がひどくなり、動悸、胸やけがするようになりました。4月に夜間病院へ行き、そのまま緊急入院となりました。その数日後、僕に告げられた言葉は「心臓移植を受けることを考えた方がいい」でした。聞いた瞬間に頭が真っ白になり、声も出ずに涙だけがとめどなく溢れました。何が起きたのか全く分からず、受け入れられませんでした。
 私の病名は「特発性拡張型心筋症」という心臓の難病でした。そこから長い闘病生活が始まりました。結局、広島では対応できなくなり、7月には大阪大学医学部附属病院へ転院となりました。そして8月には補助人工心臓という機械を心臓に埋め込む手術を受け、心臓移植待機者としての生活が始まりました。日本では心臓移植を受けるまで約5年間の待ち時間があり、それまでに補助人工心臓の合併症である脳卒中や脳梗塞、感染症で命を落とす人も少なくありません。また移植を受けられたとしても、一生免疫抑制剤を飲み続けなくてはいけません。


Until next time
 「なぜ自分が?」そう思うと辛くなるし、明日、1ヶ月後、1年後という今まで当たり前に思っていた未来が全く見えなくなりました。海外で自由に羽ばたくはずだった自分の人生は、今は難病と身体障害を持ち、24時間常に介助者を必要とするものになってしまいました。
 でも、私はこの病気がきっかけで大切なことを学んだ気がします。家族の絆、異国の地で私をずっと支えてくれるパートナーとの愛、そして「生きる」ということへの感謝の気持ちです。私はまだまだ自分の人生を諦めたくはありません。ギリギリで助かった命を大切にして、もう一度また自由に羽ばたいてみせます。私は運良く、2016年春から社会復帰を果たし、教育現場に戻ることができました。これまで支えてくれた皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。これからは、天国に旅立たれた津野由夏さんの分まで、力強く前を向いて生きていきます。心臓移植を乗り越えて、またカルガリーを訪れるその日まで。


森原大紀
プロフィール:広島市在住。2011年、大学卒業後レスリングと語学留学の為にカルガリーへ。2013年に日本に帰国し、私立高校の地歴公民科教員になる。2015年に「拡張型心筋症」を発症し、補助人工心臓装着手術を受け、心臓移植待機者登録を行う。自身の闘病生活を綴ったブログ「心筋症と闘う広島男子と英国女子の記録」(http://moai9rin3dk.hatenablog.com/)を開設する。2016年には社会復帰を果たし、現在は移植医療の啓発と闘病中に見つけた『人生で本当に大切なもの』を伝えるために活動中。






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