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2017 January - 暮らしの中に息づくエネルギー

 皆さんは「京都議定書」を覚えているでしょうか?国連が1995年から毎年開催する気候変動対策に関する国際会議が1997年京都で行われ(第3回会議)、そこで採択された議定書です。当時は、二酸化炭素の排出量を抑制するとか、気候変動の話題には決まって「京都」の名前が登場しており、条約の内容などの詳細は分からなくても、「京都」という音を耳にするだけで日本人には気候変動の問題が身近に感じられたものです。あれから時を経て2015年にパリで開催された第21回会議では、2020年以降の地球温暖化対策について国際的な合意がありました。これが「パリ協定」と呼ばれているもので、昨年11月時点の批准国及び団体は110になります。「京都」から「パリ」へ冠が変わりましたが、気候変動についての興味と関心を失わないでください。
 さて気候変動の議論では、18世紀後半に始まった産業革命以降のライフスタイルが引き合いに出されます。つまりそれ以降の目覚ましい技術革新に伴い、人類はエネルギーを大量消費するようになり、そこから出た大量の二酸化炭素が気候変動を引き起こしているという文脈です。昨年11月にパリ協定が発効し、これから私たちのエネルギーの使い方が少しずつ変わるはず。その過渡期にあたる今に生活する私たちは、大仰に言えば文明の転換点を目撃することになるのです。いつの日か子供や孫達の世代に「昔はね・・・」と前時代のエネルギーの使い方を話し聞かせることがあるかもしれません。そんな気持ちで、私たちの暮らしに密接するエネルギーについて考えていきたいと思います。


一昔前の日本のエネルギー事情


 皆さんはエネルギーというと何を思い浮かべるでしょうか?私は1970年に大阪で行なわれた万国博覧会を思い出します。お風呂で身体を洗ってくれる自動人間洗い機なんかが紹介され、実際に万博を経験した世代は「未来の生活は大きく変わる」と実感したはずです。そんな未来に比べ、当時の日常生活はつつましいものでした。街灯は裸電球に傘を被せたものが電柱にぽつんぽつんとついているだけで、コンビニもありませんから、東京都下でも夜は暗闇に覆われていました。
 そんな1970年から2000年代までに、一般家庭の電力消費量は2倍以上に膨らんでいます(図1参照)。なぜでしょう?一般家庭の用途別のエネルギー消費量の推移を見てみると、特に家電・照明器具と給湯が大きく増加しているのがわかります(図2参照)。そう言えばこの間、一般家庭に冷蔵庫や洗濯機そしてテレビが登場し、銭湯に行かずに自宅で風呂に入れるようにもなりました。明るく温かい快適な暮らしが実現できて、ライフスタイルが大きく変化したのです。


カルガリー生活の中で使うエネルギー
 ではカルガリーでの日々の生活におけるエネルギー消費とはどのようなものでしょう? 照明、家電、車の燃料もそうですが、最大の特徴は暖房です。今から10年ほど前、カルガリーで想定外の湿った雪が積もり、電線が雪の重みで破断する事態を私は経験したことがあります。停電になると照明がつかないだけでなく、水道が止まる、暖房が止まるという想像以上な不便がありました。電力やガスは複雑な相互関係を形成して私たちの快適な生活を支えてくれていることを実感する出来事でした。面白かったのは、その緊急事態に市当局は町内のセーフウェイの駐車場に薪を山積みにして、各家庭で持ち帰って暖をとるように奨励していたこと。つまりカルガリーの冬の生活における最後の砦は暖炉というわけです。

中国やインドのエネルギー事情
 過去約10年間を見ると、先進国のエネルギー消費量は人口推移や省エネ技術の導入により横ばいですが、中国やインドの消費量は右肩上がりでエネルギーの大消費国として台頭してきています。一昔前の中国といえば天安門広場を自転車が埋め尽くす光景を思い浮かべたものでしたが、今日では超高層ビルを縫うようにして走る何車線もある高速道路のイメージが先行します。ドイツの車メーカーBMWが海外発の自動車工場を中国に設置したほど、今では完全に自動車社会に転換しています。しかし家庭の暖房や調理の燃料源は、依然として石炭が現役です。
 またインドの家庭では、調理用の燃料に動物の糞や草木、ゴミなども使われています。室内の換気が十分でない環境で、有害ガスを発散するこれらの燃料を毎日使って調理しているという実情を明らかにする衝撃のレポートを見たことがあります。こうした国では「省エネ」とか「二酸化炭素の発生抑制」という国家政策以前の問題として、安全かつ簡単に調理ができる燃料を家庭で使いたいという人々の切実な願いがあるのです。


石炭から天然ガスへ
 50歳代の読者の方々は幼少の頃、石炭を実際に使っていた生活をご記憶でしょう。東京都下でも小学校の教室の暖房は石炭ストーブでした。毎朝、石炭小屋にバケツで石炭を取りに行き、山盛りになったバケツを二人掛りでやっとのこと持ち上げたものでした。日直はストーブ係で、同級生が登校してくる前に石炭を着火してストーブを温めておかなければなりません。石ころのような石炭に火をつけるが毎日大変でした。今思うと小学校の低学年児童にあのような管理を任せていたというのは驚くばかりです。
 カルガリーでも古いお屋敷を拝見すると、石炭を暖房に使っていた時代の名残が家屋の構造に残っています。石炭ボイラーは地下室に設置されているため、家の裏側に石炭を地下室に運び込む扉があり、各部屋の間取りは小さく、温めた空気が保たれるように設計されています。歴史的建造物として今は博物館になっている「ローヒードハウス」(707 13th Avenue SW, Calgary / lougheedhouse.com)が良い例です。
 石炭は重くて汚れる上に燃焼後の石炭ガラや灰の処理の手間がかかる厄介な燃料です。では石炭に依存した生活から石油やガスの利用に切り替わったのは、いつの時代なのでしょうか?家庭や街の照明としてガス灯の利用が始まったのは、18世紀後半のロンドンです。北米大陸ではメリーランド州バルティモアで1816年にガス灯がともされています。ガス利用の初期は照明用が主でした。ここアルバータ州ではメディシンハットの近くで最初のガス田が発見されたのが19世紀の後半で、そしてカルガリー南のターナーバレーに西部カナダ初の天然ガス処理施設が完成したのは1914年のことです。その後アルバータ州各地でガス田の発見が相次ぎ、産業や家庭での利用が広がりました。住宅設計を観察すると、家庭でのエネルギー利用が石炭からガスや電力へ移り変わったのは第二次大戦後から1970年にかけてだったことが伺えます。
 東京やカルガリーの生活は既に石炭から石油・ガスに切り替わりましたが、中国やインドではこれから転換が進みます。石炭を利用した記憶があると、天然ガスは扱いやすいことがよく分かります。そして今、石炭よりも天然ガスの方が環境負荷の小さいことに対する理解も進んでいます。日常的なエネルギー事情が大きく異なる国々が揃って二酸化炭素の排出量を減らそうというのですから、その取り組み方は様々で成果もばらつくのは仕方のない話です。次稿ではアルバータとブリティッシュコロンビア両州が取り組もうとするパリ協定を守るための努力と、それが私達の暮らしに今後もたらす変化について考えてみたいと思います。

風谷護
カナダ在住は20年を超えるエネルギー産業界のインサイダー。
趣味は読書とワイン。




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