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2017 January - 日本とカナダの狭間に揺れる子供の気持ち

 窓から外を覗くといつもの見慣れた景色がある。薄青い空、個性のあるような無いような家が立ち並び、無駄に広い歩道にあまり人影はない。ここは小学校へ向かうスクールバスの中だ。隣には近所に住むジェシーが眠そうにして座っている。ゲームをする子がいれば、朝から元気におしゃべりする子、朝ごはんを食べている子もいてとても自由だ。僕は読みかけの本にまた目を落とす。最近パブリックライブラリーで運良く見つけた大好きな作家、遠藤周作の本だ。

本に没頭した子供時代
 学校用のバッグには今日中に読破してやろうと思っている日本語の本があと2冊入っている。英語の本は一冊も入っていない。日本語の本ほど興味が持てないのだ。僕は日本語が大好きだ。日本人ともっと触れ合いたい、日本に行きたい。ずっとそんな思いを幼少から抱いてきた。カナダやカナダ人が好きでなかったわけではない。友達も沢山いるし、親友もいる。学校はそれなりに楽しい。けどここが自分の居場所だと感じていなかった。本当のところ自分は日本人で、僕の本来の居場所は日本にあるんじゃないかと思う自分が常にいた。
 そんな思いが手伝い、僕は日本語の本を読み漁った。日本人補習校の図書館、親の本、地元のパブリックライブラリー、日本から来る人に買ってきてもらうなど、色々な方法で日本語の本を入手し学校の勉強そっちのけで四六時中本を読んだ。ジャンルは歴史、ミステリー、ショートストーリー、宗教など様々。その過程で日本という大きな概念が少しずつ構築されていった。日本語の言語力、そして自分のルーツに対する理解が、どちらも日本語の本を読み漁ることによって自然に身についていった。本を読みなさいと親に言われた覚えはない。むしろ読みすぎて他のことに支障が出て読むのをやめなさいと言われたことがある位だ。しかし、家はテレビや漫画禁止だったのでその辺にあった本を読みだしたのは必然だったのかもしれない。


カナダの教育って?
 学校に着くとホームルームへ行き友達とたわいもない話をする。どれだけくだらないことを言えるかが課題だ。チャイムが鳴る。授業の部屋へ移動する時間だ。カナダの学校は科目ごとにざっとこんな特徴がある。算数は11年生の数学になるまではとにかく簡単。11年生から一気に難しくなったように感じた。テスト時に計算機を使ってもよく、解を出すために使う計算式は全て用紙に書いてあるので計算式を覚える必要もない。これには賛否両論あるが、より現実社会の実践に近いのはカナダ式なのではないかと僕は感じる。
 英語では中学校から論文等を書きまくる。ディベートやプレゼンテーション等も頻繁に行う為、ただの言語力ではなく、それを使って何を出来るかという具体例を身につけられる。社会科は、あまり年号等を覚える必要はなく、カナダや他国の建国過程の流れや政治・経済の仕組みを学び、そして社会問題等についてのディベートがある。振り返ると中々生きた社会学だなと思う。理科では実験などをよくしていた気がする。コンピューターの授業等もあり、マックとPCどちらも教えていた。コンピューターでゲームをするだけの日なんていうのもあった。そしてかなり自由なのが体育だ。あまりルール等なく、精一杯遊んでいる感じ。
 自分で考える力、自分を表現する力は強いが、協調性に欠けるというカナダ人の特徴を作り出す教育だ。大人になった僕は、この教育を受けられたことはとてもありがたいと思っている。この新しいグローバルな世の中では、自我を確立しそれをきちんと表現出来るリーダーがより多く求められているからだ。日本もかつて幕末の時代、吉田松陰を筆頭にビシバシ日本を動かして行くリーダーを育てる教育が盛んに行われていたようだが、歴史の色々な事情合間って今の日本ではどちらかというとリーダーの号令を忠実に聞く教育が盛んに行われているように見受けられる。僕は、どの様な人間に育つかは国民性の問題ではなく、教育の問題だと考える。


二つのアイデンティティの挾間に見つけた居場所
 小学生の僕は、授業を終えてまたスクールバスに揺られ帰路へつく。窓に映った自分の顔を見ながら「自分って誰だろう?」とずっとそんなことを考えていた。日本人の感覚とカナダ人の感覚をうまく融合できず、考えも感じ方もあいまいでふらついていた。周囲の人とは明らかに違う感覚を持っている自分に気づいていた。だけど最終的には、自分は幼い頃に日本から来てカナダで育った人間というアイデンティティを持っていて、両方の国の良い所を生かせるというアドバンテージがあるんだと感じるようになった。
 「周りの人と同じじゃなくていいんだ!」とわかったのはもっと大人になってからだ。学校に行っていた頃には出来なかった色々な経験を通してたくさんの国の人と触れ合う中で、一見曖昧なアイデンティティと二つの違う感じ方が、自分の強みになっているのがわかった。最近、日本の政治家の重国籍問題が取り沙汰されているが、国籍に関しては、恋焦がれた日本にも住んでみた結果、人種や国は関係なく、自分が生活したいと決めた所が居場所だというのが僕の結論だ。隣の芝生は青いというが、まさにそういう心理だったのかなと今では思う。

文:シン





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