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2017 July - 笑う門には福来たる 川野万美子

 今年1月、バンフコミュニティーハイスクールに通う日系カナダ人高校生が名誉あるホレイシオアルジャー・カナディアン奨学金(Horatio Alger Canadian Scholarship)を授与されるというニュースが目に入る。高等教育機関への進学を希望する低所得家庭の高校最終学年生を給付対象にするこの奨学金は、好成績、社会奉仕の実績といった条件の他に、逆境を克服してきた経験を重視する。2017年に同奨学金を授与されたカナダ全国80人の高校生の中に名を連ねたのが、バンフ在住の川野留奈さん(18歳)。5千ドルの給付型奨学金を手に、今年9月ウォータールー大学のコンピュータ工学部に進学する。
 さらに留奈さんの姉の未葵(みき)さん(20歳)も好成績やリーダーシップ、社会奉仕などが高く評価されて6万ドルの返還免除奨学金を獲得してクイーンズ大学に進学したそうだ。聞くところによると、二人とも明朗快活、学業優秀、スポーツ万能、さらにボランティア活動に積極的に参加しているという。このような素晴らしいお嬢さん達を育てた上げた女性ってどんな人だろう? そんな疑問から、バンフに在住のお母様である川野万美子さんにインタビューさせていただいた。


結婚、別居、そして転職
 私はもともとスキーガイドになりたくて、1991年にワーキングホリデー制度を利用してブリティッシュコロンビア州ウィスラーで働き始めました。現地で出会った日本人と結婚し、バンフに移住して観光ガイドをしていたのですが、2009年に夫の帰国を機に別居し、二人の娘を抱えた想定外のシングルマザーになりました。それまでは自分の天職と思っていた現地ガイドの仕事ですが、不規則で拘束時間が長い上に町を離れる事も多々。そこで思い切って転職に踏み切ったのです。
 まずはボーバレーカレッジで6ヶ月間の職業技術訓練プログラム(Occupational Skills Training program)の受講を開始。週に20時間程度の労働は許されていたので近くのレストランで夜働き、かつ政府援助を受けて毎日朝8時半から夕方4時まで学校に通いました。コースの一環の実地研修で、経験もないのにアシスタントグラフィックデザイナーとしてバンフ町役場で6週間お仕事させていただいたことをきっかけに、コース終了後に同町役場で出た求人募集に応募して晴れて就職できました。初めての仕事は、経験もないのにアシスタントグラフィックデザイナー。勤めて6年経つ今はエンジニアリング部署で仕事をしています。
 町役場で働き始めてからコミュニティーの様子がよく見えるようになり、また職場のメールでいろんな催しへの協力を頼まれることも多くなり、「娘達も一緒で良いなら手伝いますよー」という感じで自然にボランティアを始めました。当初娘達はまだ10歳と12歳だったので、一緒に手伝っているうちにボランティア活動が日常生活の一部として定着したみたいです。留奈は今でも学校で頼まれる家庭教師や幼稚園のクラスのお手伝い、様々な地元イベントのお手伝いをボランティアとして楽しんでやっています。


子供に自立心と思いやりの心を植え付けた離婚
 2012年の離婚を機に、子供達が精神的に自立してお互いを助け合うようになりました。姉妹でお互いの学校のイベントや旅行の募金集めに勤しんでいましたし、私が昼夜働いていた時期は、お昼に家に帰って自分達でランチを作るようにもなりました。もともと家族で一緒に料理をすることが多かったから苦じゃなかったみたいです。勉強しなさいと言うことはありませんでしたが、「やらなければいけない事やったの?」とだけは聞いていました。なぜかいつもキッチンテーブルで姉妹揃って勉強していました。最近分かったのが、自分の部屋だとWIFIに繋がりにくいからだって(笑)。
 二人とも幼い頃から10年間フィギアスケートを習ってきたのですが、お金もかかると心配した上の子がラグビー、バレーボール、バスケットボール、バトミントンなどの学校スポーツに没頭しだして、妹も姉の後を追うように同じスポーツに邁進していきました。チームスポーツを通じて良い仲間が出来たのもラッキーだったと思います。勉強、スポーツ、ボランティアに頑張る二人をバンフの町の人達は本当に良く見てくれていて、いつも温かい心で応援して下さっている事を感じながら育ちました。学校の先生も「こんな奨学制度あるよ」と色々と勧めて下さったお陰で二人とも奨学金を受け取ることができました。


バンフという町の温かさ
 ちょっと前の話ですが、バンフ町長にばったり会って挨拶すると、「あなたの娘さんって、もしかして未葵?この間、電話してきたわよ」と。不思議に思って娘に聞くと、「町長に質問があって町役場に電話したら、町長の携帯電話くれたから」との返事が。それくらい町民の声がトップに届きやすい温かい町なのです。離婚後もキャリアアップのコースや仕事紹介、子供達のスポーツプログラムの助成金の紹介と色んな人が何か出来ないかと気にかけ、助けて下さいました。観光業で成り立っている町だからこそ季節労働者や新移住者のことも親切にサポートしてくれる。子供達も町役場や病院などに気楽に出入りしてインタビューや募金活動が出来るので、小さい頃から町がみんなで育てて頂いた感じです。


子供達のポジティブ思考
 子供達は父親と時々連絡を取り合っています。甘いお父さんが大好きだった留奈にとって親の離婚はとても辛い経験でしたが、「今考えると、困難があったお蔭で色んな事に集中出来るようになった」と言います。上の未葵は大学1年目に怪我をして大分落ち込んだ時期がありました。学校のカウンセラーや先輩に相談に乗ってもらうことで克服したのですが、その経験があったからこそ人の心の痛みが分かるようになり感情を理解する幅も広がって、今は新入生の心のケアをしたり、国際留学生をサポートする側に回っています。「結果オーライならいいじゃん!人生って面白いね」って、家での笑顔が絶えません。まさに「笑う門には福来たる」ですね。


離婚を乗り越えた今
 子供達の父親は面白い人で傍に居てくれたら良かったのですが、事情があって2009年に日本に帰国しました。「収入一つになっちゃった。子育ても一人になっちゃった」と不安になったけど、そんな気持ちが子供達に伝わらないように心がけました。世の中にシングルマザーは沢山いるし、私に出来なくてももしかしたら誰かが助けてくれるかもしれない。でもそれは言わなくちゃ伝わらない!そう気付いて、人に話す勇気が必要だって学びました。
 2009年の別居から、離婚がようやく成立したのは2012年のこと。合意のもとのシンプルな離婚にこんなに時間かかるなんて、揉めていたらどれだけ大変なんだろうと思いました。カナダでは結婚するのは簡単だけど、子供がいると別れるのって大変なんですね。結論から言うと、離婚という事実はネガティブでも、自分の受け取り方次第で人生いくらでも幸せになれるって事を学びました。自分の置かれた現状を受け入れ、AがダメならBという選択ができる広い視野、そして「それでハッピーになればいいじゃん!」と思える心が大切だなと実感しました。また何事も全て自分の思い通りにはならないと思っていれば、ちょっとうまく行くとそれだけでハッピーになれますし(笑)。留奈ももうじき大学生になって家を出ますし、これからは私にちょっとくらい浮いた話があっても良いかなと思ったりもしています。私たち家族を支えて下さった皆様に心の底から感謝しています。


インタビュアー : ジャパナビ編集部

川野万美子
1967年生まれ、神戸市垂水区出身。大学卒業後、甲南学園サービスセンター海外教育事業部に2年間勤め、海外留学・学生ビザ・ホームステイのサポートに従事。その後ワーキングホリデー制度を利用し1991年5月に渡加。現地ガイドを経て、現在はバンフ町役場でエンジニアリング部署の業務に就く。週末は趣味を兼ねノーケイスキー場でスキーガイド業に勤しむ。







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