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2020 October - 火星人襲来とコロナの教訓

 コロナ感染の心配と共存する生活を続けてもう半年以上が過ぎました。目には見えない感染源を常に警戒しながら暮らすのはストレスの溜まる日々です。多くの人は従来のライフスタイルの代わりになるものを探さなければならない、しかし何をすれば良いのか分からないという「未曽有」の経験をしているのかもしれません。
 皆さんは1938年に起きた「火星人襲来」の事件をご存知でしょうか?タイムマシンや透明人間を素材にしてSF小説を書いたH.G.ウェルズの「宇宙戦争」という創作物語を基にしたラジオ番組が、火星人が攻めてくるというパニックを全米で引き起こしました。フィクションであることを断るメッセージと併せて放送されたにもかかわらず、通常番組の途中で臨時ニュースとして割り込む形でこのラジオ番組が流れたため、臨場感を高めました。その演出に加え、名優オーソン・ウェルズのナレーションが上手過ぎたこともあり、実際に火星人が襲来していると信じ込んだ人が続出しました。火星人の襲来という未曽有の経験に直面し、当時の人々は常識では考えられないようなとんでもないリアクションをしたとの様々なエピソードが残っています。
 コロナ感染が世界同時に拡大している状況を毎日刻々とメディアが伝えています。名作映画「StarWars」を見て育ち、異星人が隣にいてもビックリしない世界観を培った私たちですが、今は目に見えないコロナウイルスに対するストレスに苛まれ、1938年当時のアメリカ人のように過剰反応を起こしているような気がしてなりません。
 例えばブリティッシュコロンビア(BC)州ではこの春、アルバータ州からの来訪者に対する忌避行動が見られました。既に感染拡大が一段落していたBC州では、感染者数が依然増加していたアルバータ州の人間がコロナウイルスを持ち込むこと恐れたのでしょう。アルバータ州のワイルドローズのライセンスプレートをつけた車に乱暴狼藉が行われたという報道が5月に散見されました。
 またコロナ感染拡大が始まった初期の2月、アメリカのある都市でマスクをしているアジア人が暴行を受けるという事件がありました。マスクがコロナウイルス感染を連想させたのでしょうか。どちらも未曽有の状況に直面した、短絡的な判断をしたパニック行動でした。

マスク着用義務化とその反動
 コロナ後の時代を示す予兆はないだろうか?そう考えながら自分の身の回りで起きている様々な変化を注視していますが、最大の発見はマスクの常用が広まったことです。コロナ以前、欧米では大工仕事など防塵目的で使う以外、一般的に町中でマスクを着用する習慣はありませんでした。今では感染拡大が進み、手を洗うことやマスクを着けることが基礎的な自己防衛手段やエチケットであることが理解されるようになり、マスク着用者への疑心暗鬼は薄れてきました。
 カルガリー市議会は、屋内の公共スペースではマスク着用を義務付ける条例を8月から制定しました。ただ条例審議の過程では、着用を強制することへの反対意見がありました。マスクをしない自由は個人の基本的権利であり、マスク着用による感染予防の効果は乏しいにもかかわらず義務化することは、その権利を制限することだとの主張です。その他、欧米各地でもマスク義務化に反対するデモが起こり、8月下旬、ベルリンのブランデンブルク門前で2万人規模の反マスクデモがありました。
 室内に入るときに外套や帽子、手袋は外すという古い習慣があります。これはまだ道路が舗装されておらず、外にいると埃まみれになっていた時代から続いているエチケットです。周囲への配慮としてこのエチケットが今日も自然に受け入れられているように、マスク着用も強制するより、コロナ感染拡大を食い止めたいとの人類共通の願いに根差した行動であるという認識が欧米でも広がり、マスク着用が定着していくことを期待したいです。
 ところで、日本のテレビ番組の中で、ベテラン芸人が政府のコロナ担当大臣が着用するマスクのことを「飛び出す絵本のようなマスク」と揶揄したことがありました。記者会見のような公の場での説明をマスクを着けたまま行うスタイルが始まったばかりの頃です。映像に写る人々は様々な形のマスクを着けていました。誰もが試行錯誤を繰り返していたはずで、笑ってしまうような似合わないマスク姿(例えばアベノマスク)もありましたました。
 でも誰もが息が外部に漏れない機能、自分の服装に調和するデザインなどを考慮してマスクを選んでいたことは確かです。それを面白おかしく茶化すのは差別を新しく生み出すのではないかと気になりました。ワイドショーに登場するお笑い芸人は昔の宮廷道化師であり、人を揶揄、風刺して聴衆の共感を求めるのが仕事なので当然のことをしたまでかもしれません。しかしこうした道化を良しとすると、マスクをしていない人を忌避したり、パニックに近いオーバーリアクションを生んでしまうのではないでしょうか。着用しているマスクの色やデザインを嘲って笑うのは、このご時世で正しいことなのだろうかと考えると、その芸人の茶化しを笑えませんでした。 

日本のマスク着用は明治時代から
 それはともかく、欧米人がマスクを着けるべきか迷っていたり、強制されることに反発しているのに対し、日本人はコロナ感染が深刻な問題であることを伝えられると誰もが自然にマスクを着けはじめました。そのせいでコロナウイルスで重症化する人や死亡者が少ないのだという都市伝説まで生まれましたが、我々がマスク好きになったのは一体いつ頃からなのでしょうか?
 それは日本が近代化を進めた明治の頃です。炭鉱や工場で粉塵を吸い込んで健康を損ねることがないようにと保安用具としてマスクが使われ始めました。その当時のマスクは汚れが目立たないように黒いマスクが主流でした。この時、現場ではマスクを使うべしと提唱したのは幕末に将軍の侍医も務めた蘭方医の松本良順という人でした。ドラマの「Jin-仁」にも登場して主人公を何かと助けてくれた脇役なのでその名前にピンとくるかもしれません。
 その後、大正時代にスペイン風邪が世界で大流行したとき、マスクを着けることが奨励されて一般家庭にも広まりました。当時の政府がマスク着用キャンペーンを張り、そのポスターには「マスクをかけぬ命知らず」という強烈なキャッチコピーが掲示されていました。その頃からマスクは現場作業用の装備から衛生用品としての存在感に変わり、白いマスクが主流となりました。大正時代の先人が広めた習慣は昭和の時代にも残り「風邪を引いたらマスクを着ける」が当たり前の習慣となりました。
 それから平成になり、花粉症対策グッズとしてマスクはなくてはならないものになりました。更にはマスクをしていると冬でも寒くない、とか他者に顔を見られずに済むというような派生的効果も注目され、日本人にとってマスクを着けるのは靴下を履くのと同じ感覚になりました。そうして迎えたコロナ感染拡大の時代、マスクを着けることに防疫効果があるかどうかではなく、「裸で外を歩いてはならない」というのと同じ儀礼的行為として私たちにとっては当たり前のことになっているのです。日本ではマスク着用に反対して2万人がデモに集まることは考えられませんね。
 しかしながらマスクをしていると困ることもあると気づかされました。口元が隠されているので表情を使うコミュニケーション能力が減殺されるのです。歌舞伎役者が大見えを切る時のように目元を上手く使って顔の演技力を高めねばなりません。それからレストランの店員が本日のお勧めを口頭で伝えてくれても、マスクをしていると料理の内容が聞き取れません。また、こちらがマスクをしているとワインの注文に一苦労します。赤ワインのピノ・ノワールやマルベックなら発音が単純なのでマスク越しでも意思疎通は可能です。しかし、白ワインのゲヴェルツトラミネールとなると絶望的です。フランスのアルザス辺りでこのブドウでワインを作っている醸造家は何故、最近売れ行きが悪いのかと首を傾げているのかもしれません。それはマスク着用が普及したせいなのです。


風谷護
カナダ在住は20年を超えるエネルギー産業界のインサイダー。
趣味は読書とワイン。




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