JAPANとALBERTAから、JAPANAB(じゃぱなび)と名付けられた無料タウン情報誌。
アルバータ州在住の輝く日本人に焦点を当て、面白く、役立つ情報を発信中。
季刊誌「Japanab」は、2022年1月発行の「Japanab January 3, 2022 Vol.39」より、下記の通り年2回刊誌に刊行サイクルを変更いたします。
引き続き変わらぬご支援、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。
• 2021年10月号Vol.38(10月1日発刊)にて季刊誌最終号
• 2022年1号Vol.39(1月3日発刊予定)にて年2回刊誌としてスタート
• 以降7月3日と1月3日に刊行。

2021 October - いつの日か自分の作った飛行機で空を飛びたい 航空整備士 今川幸弘

 この夏、渡航規制が緩和され、やっと日本に帰省できた人や、これから里帰りを予定している人も多いはずだ。コロナ禍中で運航は減れど、いつかまた旅客を乗せて飛ぶ日のために飛行機は待機する。その飛行機の揺るぎない安全を守るために、万全を期して飛行機を日夜整備・点検・修理する航空整備士たち。今回はカルガリーに本社を置くWestJet Airlinesで活躍する航空整備士の今川幸弘さんにインタビューに応じて頂きました。

自分を解放して自由に生きる
 生まれは愛知県豊橋市で、生後間もなく大阪の堺市に移り幼年期を過ごしました。4歳の時に両親が離婚してからは母の実家がある豊橋市で育ちました。体があまり丈夫ではない母ですが、いろいろな苦労をしつつも女手一つで私と妹を育ててくれました。
 私は小さな頃からロボットや電気工作が大好きで、3歳の時にはすでにドライバーを持って時計やラジオなどを分解して遊んでいたそうです。音楽も好きで、中学と高校では吹奏楽部でトランペットを担当。高校時代はバンドを組んでベースギターを弾いてました。
 高校卒業時には進学も考えましたが、高校に行くために多額の奨学金を借りていたので返済を優先するため地元のキャンピングカーを製造する会社に就職しました。入社した年、ロサンゼルスに部品調達を兼ねた研修旅行に連れて行ってもらいました。今思えばこの旅が後の人生を方向づける大きなきっかけとなりました。ジャンボジェット、ボーイング747に乗っていく初めての海外。眼下に広がるアメリカ大陸の海岸線に豆粒のような人々を見た時、「自分も地上に降りればあの人たちと同じように小さな存在。空から見れば自分を縛っているしがらみや悩みなど、なんて取るに足らない小さなことなんだろう」と思い、もっと自分を解放して自由に生きてみたい、日本を飛び出していろんなことにチャレンジしたいと自分の中で人生観が大きく変化しました。
 初めて外国の人々の暮らしを見たことで、私の海外に対する好奇心は大きく膨らみました。また、この旅を機に人の出会いと別れが交錯する旅情あふれる空港という場所、そして様々な思いや目的を持った人を運ぶ飛行機という乗り物に強い憧れを抱くようになり、次第と航空マニアになっていきました。

自家用飛行機でカナダの大空を体感
 初めての海外旅行の後、自分の世界を広げるためにはまずは英語が話せなきゃだめだと思い、まずはNHKラジオの基礎英語から始め、英会話学校にも通うようになりました。そして5年間必死に働いて貯めたお金で23歳の時にBC州ケロウナに語学留学しました。偶然にも最初のホストファーザーが飛行機の免許を持っていて、彼に誘われ初めてセスナ機で空を飛びました。その時の体験から、自分もいつか飛行機の免許を取って自由に空を飛んでみたいと思うようになりました。当時日本では500万円程する自家用飛行機の免許がカナダでは9,000ドル程。このチャンスを逃すわけにはいかないと元々1年間の予定だった語学学校を8か月で辞め、自家用操縦士免許(Private Pilot License)を取るためフライトスクールに切り替えました。気象や法律の専門用語の聞き取りが難しく、座学を全てテープレコーダーに録音して何度も聞いて勉強しました。パイロットへの憧れと、掛けたお金を無駄にしたくないという思いで必死なって勉強したので、そのまま語学学校に行ったよりもはるかに英語は伸びたと思います。無事に免許が取得できた時の喜びは今でも忘れません。

カナダと日本の架け橋となる仕事がしたい
 1年間の留学生活を経て日本に帰国しましたが、いろんな事に逆カルチャーショックを受け、将来はカナダで暮らしたいと考えるようになりました。移民の糸口をつかむためにカナダと関係のある仕事を探していたところ、ある日新聞にカナダの輸入住宅の折込広告が入っているのを見つけました。これだと思い、その場で直接電話して雇ってもらえないかと交渉し採用してもらいました。住宅の営業が主な仕事でしたが、輸入の手配もさせてもらえたので留学で培った英語が活かせました。
 次第に日本からカナダの会社にアプローチして仕事を得よう試みましたがうまくいかず、28歳の時にワーキングホリデーを使って1年間を仕事探しに賭けてみることにしました。両国の架け橋になるような仕事がしたかったのですが、見つけるのは容易ではありませんでした。滞在費も残りわずかとなり諦めかけたころ、前職の輸入住宅の会社と取引のあったLoewen Windowsという高級木製窓の会社で日本市場のカスタマーサポートとして採用されました。私を雇ってくれた上司は、公私にわたって私をサポートしてくれワークビザから移民申請に至るまで、会社ぐるみでバックアップしてくれました。その恩返しに精一杯働きました。後にJapan Sales Territory Managerとして日本の市場開拓を担当し、その後International Territory Manager and Sales & Customer Service Analystとして北米以外の国際市場開拓を担当すると同時に、北米市場を含む全市場の販売予想や各部署の能率を数値化するKey Performance Indicatorsの作成などを任せられるなど仕事の内容は日々拡大し順風満帆でした。多い時には年に5~6回ほど海外出張に行くようになり、日本出張の際に妻と出会いました。

一番情熱を燃やせる仕事は何か
 ところがよいことは長く続きません。2008年のサブプライム問題で贅沢品である木製の窓の需要が激減し従業員はいっきに半分まで削減されました。自分は会社から課せられた営業目標を常に上回っていたので大丈夫だろうと思っていたら突然レイオフを言い渡されました。激減した人数で北米と異なる各国のニーズに対応する余裕がなくなりすべての国際市場から撤退することになったのです。国際市場を任されているという自負を奪われた喪失感は大きく、しばらく何も手につきませんでした。失意の中、1年間ほど同じような内容の仕事を探しましたが、うまくいきませんでした。その一つの原因として、心の中に「本当に前回と同じような仕事をこの先もしたいのだろうか」という思いが芽生え始めていたせいもあります。そんな状況でも妻は仕事が決まらない私を責めたりすることは一切せず、信頼してサポートしてくれたことでじっくりとこれから自分は何をして生きていきたいのか、一番情熱を燃やせる仕事は何かを考えることができました。ある日、母から「昔キャンピングカーを作っていた時のように技術を生かした仕事もいいんじゃない?」と言われ、「自分の理想の人生を送るためにカナダに来たんだ。今までと同じ職種である必要はない。いろんな方向性を考えてみよう」と思いました。そして私が本質的に好きな技術的な仕事で私が死ぬまで情熱をささげられる仕事は何かと探したどりついた答えが航空整備士(Aircraft Maintenance Engineer)という職業でした。前職の経験をすべてゼロにして一からのスタートとなるこの選択に、妻が何と言うかとても心配でしたが、ありがたいことに賛同してくれました。
 そしてウィニペグにあるRed River Collegeで航空整備士のコースを選択し、若者に交じって猛勉強しました。その甲斐あって学校を首席で卒業し、同年2011年にカルガリーにあるJazz Aviationという会社で航空機部品整備の仕事が決まり引っ越してきました。しかしわずか半年間で会社の人員削減方針が決まり、一番新米の私が切られてしまいました。不憫に思った当時の同僚が、North Cariboo Airという石油会社向けにチャーター便を飛ばしている会社を紹介してくれ、念願の旅客機整備の仕事を得ることができました。この会社で航空整備士免許取得に必要な整備経験を積み国家試験に合格しました。最初は小型機用のM1ライセンス、その後に中・大型機用のM2ライセンスを取得しました。同社に4年ほど在職したのちWestJet Encoreに転職しBombardier社製のDash-8 Q400型機の試験をパスし整備資格とACA(Aircraft Certification Authority: 飛行機が最終的に運行できる基準に達していることを承認する権限のこと)を取得しました。
 2017年にWestJetの本社に採用されてからはボーイング737NGシリーズや737Max、2019年には7週間に及ぶ厳しい講習を終え次世代の長距離用ワイドボディ機ボーイング787型機の試験に合格し、これでWestJetが現在保有する全機種の整備資格とACAを取得しました。この他に各機種のRun-up & Taxi(エンジンの試運転や地上走行)の資格も取りました。仕事はシフト制で夜勤もあるので肉体的にもハードですし、小さなミスも許されないので精神的に緊張をしいられる仕事ではありますが、大好きな飛行機の安全運行の一躍を担っている充実感があり、心の底から情熱が持てる仕事につけていることに幸せを感じています。

自分のやりたいことができる幸せ
 私はこれまで「いくら稼げるか」という視点で仕事を決めたことは一度もなく、いつも「何がやりたいか」で決めてきました。それは私にとってやりたいことを仕事にできる幸せは金銭的に得られる幸せよりも優っているからです。
 自分の人生を振り返ると幾度も試練の時がありましたが、その時は最悪だと思うような出来事も幸いにも結果的にはよりよい将来への布石だったなと思うことばかりです。子供のころは決して裕福な家庭ではなかったですが、そんな環境だったからこそ自分で人生を切り開く力を得られたような気がします。またありがたいことに人生の重要な分岐点には必ずと言っていいほど私に大きな影響を与えてくれる人たちとの出会いがありました。その方たちには本当に感謝しかありません。
 人間の健康寿命は限られています。定年退職してからでは遅いと思い、自家用飛行機とハンガー(格納庫)を今年購入しました。これは24歳の時に飛行機の免許を取得した時から描いていた夢の一つでした。究極の目標は自分の作った飛行機で空を飛ぶこと。その夢の実現のためにこれからもチャレンジし続けていきたいと思います。


インタビュー/ジャパナビ編集部


プロフィール
今川幸弘・Yukihiro Imagawa
 1970年愛知県豊橋市生まれ。高校卒業後、キャンピングカー製造会社に5年間勤務。1994年ケロウナの語学学校に留学。翌年、自家用飛行機の資格を取得。1995年に帰国しカナダの輸入住宅販売会社に勤務。1999年、ワーキングホリデーでカナダに戻り、2000年よりマニトバ州にあるLoewen Windowsの国際営業部に8年間勤務。2009年Red River Collegeに入学しAircraft Maintenance Engineer Diploma Programを専攻。卒業後はカルガリーに移りJazz Aviation、North Cariboo Air、2016年からWestJet Encoreを経てWestJet Airlinesに勤め現在に至る。一男の父。







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