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2020 July - 暮らしを支える電気を守る 松坂秀夫

 海外でバリバリ働く日本の優秀な技術者たち。15歳から「事業の発展は人にあり」という理念の「モノづくり人財」を育成する教育を受け、現在、蒸気タービンのスペシャリストとして世界を飛び回り発電所のメンテナンスを陰で支えている松坂秀夫さんもその一人だ。
 最初は、エドモントンの火力発電所の新規建設事業でカナダに赴任し、9年後には永住権を取得。同じ会社に現地採用されるというなかなか珍しいケースで、カルガリーに家族6人で移住した。出張が多い松坂さんに代わり4人の子供達の育児をほぼ一手に担う妻の美紀さんを交え、お二人にお話を伺った。


将来を決定づけた父親の会社の倒産
 小学生の頃までは一般的な生活をしていたと思うのですが、中学1年生の時に父親の経営する自動車の部品工場が倒産して、莫大な借金をしてしまいました。父親から普通の高校に行かせる余裕がないと言われ、奨学金制度で学費と寮費が無料の日立製作所が運営する企業内学校、日立工業専修学校に入学しました。卒業生は日立グループの各事業所に就職します。
 1年生は全員寮生活から始まります。当時、部屋は4人部屋で1年生二人と先輩二人。上級生は後人生を左右する運命の本と出会えるように輩の面倒をみて、下級生はまず先輩に対する言葉遣いや挨拶を学びます。当時は、1年生は先輩の目を見てはいけないとか、お風呂の湯舟の中では正座しなければならない等、相当に理不尽な事もありましたが、それは僕の卒業後に改善されたみたいです。奨学金は給料として支払われ、そこから学費、寮費が天引きされます。家には一年に一度しか帰れませんでした。夏休みになると寮の食堂も休みになった為、フランスパン1本とピーナッツバターでいかに食いつなぐか悩んだものです。学友とは同じ苦労を味わったので、強い絆が生まれました。


企業内の専門学院に進学、そして海外へ
 高校卒業後は日立工場のタービン製造工場に配属されました。現場での経験が非常に重要視される事から、日本国中の火力、原子力発電所を先輩技術者に付いて回り、タービン組立技術のノウハウを5年程学びました。矢継ぎ早に続く出張のため、自分の部屋に全く帰れない日々。この生活に疑問を持ち、将来を見据えて企業内の日立茨城専門学院に進学しました。社員に大学レベルの高等教育の機会を与え、日立グループ全体の技術レベルの底上げを行うという学校で、奨学金で学ばせてもらいました。卒業した者には社内において大学卒業程度の処遇が施されるので、出張からデスクワークの多い仕事になるかと思ったのですが、英語も学ぶので、今度は海外出張にも出るようになり多忙さはこれまで以上になりました。
 そんな中、ディカプリオ主演の映画「ザ・ビーチ」の舞台となったタイのクラビと言う町に3年間駐在したことがありました。滞在先の古いホテルの真ん前に高級リゾートホテルがあり、インターネット回線を借りに行ったり、リゾート主催のパーティに参加したりしているうちに、タイ語を学ぶためにこのリゾートで働いていた日本人従業員と知り合いました。これが妻の美紀との出会いです。結婚前提のお付き合いを始め、彼女は2年間半で日本に帰国してしまい、その後は遠距離恋愛になりましたが、私の帰国後に無事結婚に至りました。


仕事の原動力は何万世帯もの家庭に電気を送っているという誇り
 結婚後も、国内外の出張が続きました。出張を終えて帰ってきても、今度は会社のデスクには山積みの書類があり、残業の日々。新居購入後も、家には10年間のうちトータルで2年間も住めていないと思います。2007年には横浜の火力発電所建設の機械工事責任者となり、それから2年半は単身赴任でした。2ケ月に一度程度の家族との再会の為、「電車で来るおじさん」と子供達に呼ばれるようになり、駅で「おじさん、また来てね!」と泣かれるのが辛かった。
 あまりに出張が多く、日々忙殺される中、鬱っぽくなった事もあります。しかし社会インフラを支えているという自負、電力供給を影で守っているのは自分達であり、我々の仕事によって何万世帯もの家庭に電気を送っているという誇りがあったからこそ続けられていました。また、そういう信念を教えてくれる素晴らしい先輩方から学べた事が私の財産です。


エドモントンでの駐在が家族にとっての転機
 2009年には火力発電所の建設事業のため、2年半駐在員としてエドモントンに出向しました。横浜の単身赴任が終わって1週間後の任務ということもあり、家族同伴による赴任が認可され、結婚して10年、初めて家族と一緒に住めるようになり、4人目も生まれ、家族と一緒に過ごす事が出来る幸せと、その大切さを実感しました。この時初めて妻への感謝の気持ちが生まれた様な気がします。それまでは自分が外で働いているのだから、妻が家の事や子供の面倒を見るのは当たり前としか考えていませんでした。
 その後、帰国直前にあの東日本大震災が発生。そのまま日本に帰り、小さい子供4人と妻を家に残して出張する日々はさすがに不安になり、カルガリー支店に一時的に転勤させてもらいました。それからは、数十年経過した旧品のメンテナンスという、言わば機械的には全く畑違いの仕事に従事するも、大先輩たちの知恵・技術に深い感銘を覚えました。その後、2018年にカナダの永住権が取得できた事を機会に現地採用へ切り替えてもらい、今後はカルガリーを拠点として、カナダ国内・北米の発電所のみならず、世界中を舞台にトータルアフターケアサービスを提供する「サービスエンジニア」として、社会に貢献できるよう頑張っています。


松坂家流、4人子育ての秘訣
 2ケ月出張で1ケ月帰宅のような生活なので、年に8ケ月間妻はひとりで家を守ってくれています。「愚痴は福運を消す」と文句も言わずに、楽しそうに4人の子育てしてくれています。お蔭様で子供達は丈夫に育っており、妻は「子供達はお母さんに苦労をかけないようにといろいろと助けてくれる。長男はお父さんの代わりにならなければいけないと思っている」と言っています。子供達はいつも明るく楽観的な母親といろんな失敗を笑いに変えて、へこたれずに常に前向きにいますね。私が不在でも、家族を助けてくれるお友達がたくさん出来たのもありがたい。
 長男に日本語をしっかり教えれば、兄弟間で日本語を話し、兄弟みんな日本語が上手くなると教わってそれを実践したら、みんな日本語も英語も堪能になりました。日本に帰る前提だったので、現地の学校のほか、日本語での補習校や受験対策教材もやっていたので、子供達は大変だったと思います。英語が話せず現地の学校で孤独を感じていた時に、日本語で話せる補習校で良いお友達が出来た事に救われたと思います。
 子供達はいつか日本に帰るのか、ずっとカナダにいるのかがわからずにアイデンティティに迷いがあったようですが、カナダ永住権を得たおかげで、根城ができたというか、英語での勉強も頑張っていこうという覚悟が出来たように見えます。私達家族は、向き合うのではなく、同じ方向に寄り添って歩いていく。どこにいたって、家族は同じ気持ちで、世界平和を祈っていこうという信念でいます。

プロフィール:松坂秀夫(まつざかひでお)
 1972年 東京都世田谷区生まれ。3人姉弟の末っ子として、佐藤家に生まれる。7歳まで神奈川県川崎市、中学を卒業するまでは茨城県の伊奈村(現つくばみらい市)に住む。日立工業専修学校を卒業し、(株)日立製作所に勤務。のちに日立茨城専門学院を卒業し、世界中を飛び回るタービン技術員となる。2002年に松坂美紀さんと結婚。2009年エドモントンに赴任。2018年カナダ永住権取得と同時に、出向先であった同社(現在はMitsubishi Hitachi Power Systems Canada Ltd.)の社員となり、主任タービン技術指導員(Chief Technical Advisor of Turbine and Generator)として、カナダ国内だけにとどまらず北米を中心に世界中の電源を支える仕事に従事する。2男2女の父。

取材・文/じゃぱなび編集部





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