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2017 October - アルバータ州における国際養子縁組

 近年日本でも特別養子縁組に関連するニュースを見かけるが、国際養子縁組に関してはあまり耳にしない。日本はハーグ国際私法会議の構成国でありながらハーグ国際養子縁組条約を批准していない。ハーグ国際養子縁組条約、正式には「1993年国際養子縁組に関する子の保護及び協力に関する条約」は、国際的な養子縁組が子の最善の利益および国際法において承認された子の基本権の尊重の下に行われるための安全基準を定めることを目的としている。締約国は日本を除く主要7カ国(アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア)に加え、中国、フィリピン、タイ他、約100カ国にのぼる。
 私達は予め3年の期限を決め、アルバータ州カルガリーにて2013年に、Adoption Optionという州政府の認可を受けた養子縁組の会社と契約を結び、国際養子縁組の長い道のりを始めた。


1.養子縁組の対象になるための州政府における審査
 国内外に関わらず、養子縁組の対象になるには健康診断も含む調査が行われる。Adoption Optionからはホームスタディと言ってソーシャルワーカーが3回ほど我が家に訪れ、面接を含めどのような環境に住んでいるかを調査する。資産を含む金銭面や職業も調査の対象となる。その後Adoption Optionに呼ばれ1時間ほどの面接を受ける。健康診断結果を含む8ページほどのレポートが作成され、アルバータ州政府のFamily Servicesに送られる。審査の後、ようやく養子を受け入れる許可が得られ、アルバータヘルスサービスが提供する養子縁組のための父母教室に参加が許される。


2.国際養子縁組 - 国を選ぶ
 Adoption Optionとの契約では、中国、アフリカ、台湾などの選択肢もあったが、あえて隣国のアメリカを選んだ。そして、アメリカは州によって法律が異なり、待ち時間を考慮すると1つ以上の州との契約を結んだ方が子供とのマッチング率も高いが、ただ莫大な費用が掛かる。Adoption Option がアメリカで契約を結んでいる州を提示し、そこで私達はアジア人が多く住んでおり、アルバータ州よりもはるかに人口密度の高いカリフォルニア州を選んだ。そしてAdoption Optionが提携しているHeartsentというサンフランシスコ郊外にある養子縁組の会社と契約を結んだ。この会社の役割は私達とアルバータ州の養子縁組のかけ渡しになる会社で、決して子供を紹介してくれる訳ではない。


3.マッチングまでの日々
 養子縁組は受け入れる側ではなく、産みの両親又は母親がこのカップルに実子を託そうと決断してはじめて成立する。もちろん、受け入れる側も同意しなくては、マッチングは成立しない。マッチングはHeartsentが行うのではなく、Little Angels Attorney という弁護士事務所が行う。いわば仲介人だ。子供を欲しいと願う親たちは20ページ程の写真付きのプロフィール本を作る。このプロフィール本は、どれだけ自分たちが素晴らしい親になる決意と覚悟があるかを、生みの親に問いかけるとても大切なものだ。なぜ養子縁組をする決意をしたのか、家族構成、職業、信念、哲学、居住環境などをこの20ページに凝縮する。生みの親にこのプロフィール本で目を止めてもらえなければ、育ての親として選んでもらえないということになる。そして、プロフィール本を弁護士事務所が生みの母親に配り、その本を見て生みの親は決断をする。アメリカという国は本当に驚くのだが、実際に病院の産婦人科に訪問したり、会社のホームページで子供が育てられないかもしれない妊婦さんに問いかけたり、マーケティング的なことを行う。そして、子供を欲しいと願う人々は、弁護士事務所のウェブサイトに写真付きでプロフィールが掲載される。アルバータ州は法律で、倫理上子供を欲しいと願いう人々を、ウェブサイトに掲載することができない。アルバータ州に住む私達は、この点でマッチングのチャンスが遅れることとなった。


4.息子との出会い
 プロフィール本を作成し、弁護士事務所に送ってから約2年が経過、私達の待ち時間のリミットまで2か月となったある日、カルガリーのAdoption Optionから電話があった。今日中に決断してほしいオファーが来ているというのだ。午後1時の電話だった。そしてたった5ページの生みの母親の経緯と産婦人科のレポート、生後1日の赤ちゃんの写真がメールで届いた。そして、アメリカの弁護士事務所からも電話があり、生みの母親が貴方達に会って決断したいから、明日の正午までにサクラメントまで来て欲しいというのだ。全く断るとか検討させてくれとか言っている時間も与えられず、こんなオファーはとてもレアだと言われ、これも運命だと思いつつ大きな不安を抱えたまま、翌朝6:30、友人に借りた空のカーシートを手に飛行機に乗った。いつ戻ってこられるのかも未定、滞在する場所もないまま取り敢えず生みの母親と赤ちゃんに会いに。
 生みの両親は高校を卒業したばかり。生後2日目の息子を生みの親から手渡され、弁護士事務所が用意していた引き渡しの書類に署名し、1時間後には生みの親に別れを告げ、Heartsentの車で息子と共にCradle Care と呼ばれるHeartsentが契約している乳母の家に向かった。


5.カルガリーに戻るまで
 この時点では、息子の親権はHeartsentにある。カリフォルニア州では子供が養子縁組の会社に借り引き渡しされた後も、2週間は生みの母親が気変わりする権利がある。裁判所からの親権引き渡しが許可されるまでは、我が子にはならない。この2週間、生みの親は弁護士事務所から派遣されたソーシャルワーカーにカウンセリングを受け、親権完全放棄の書類に署名する手続きをとった。今になって思えば、生みの親はどんな気持ちで書類に署名したのだろうと心が痛くなる。そして自身の責任の重さを感じる。とても長く感じた2週間、複雑な心境で我が子の面会に乳母の家に通う。そして生みの親が署名した書類が、カリフォルニア州最高裁判所に送られ、最終的に親権引き渡しの許可が下りたのは我が子と会ってから1か月後だった。人生の中で一番長く感じたひと月、よく泣いて笑った。乳母はおむつの替え方から、ミルクの作り方まで我が母のように何でも教えてくれた。本当に感謝している。我が子になり、仮住まいの家で初めての子育て開始。次はカルガリーに帰る準備。パスポートの作成だ。アメリカ人として入国するため、パスポート以外にカナダの移民申請も必要になる。パスポートは1週間ででき、移民申請も申請中という証拠の書類を持参し、最終難関カナダ移民局を通過した時は感慨無量だった。


6.まだ終わらない養子縁組の道のり
 いきなり始まった子育て、両手を上げて喜んでもいられない。Post Placement Assessmentといって3 か月に渡り、Adoption Optionからソーシャルワーカーが、定期的に調査にやってくる。子供は良い環境で育てられているか、虐待は受けていないか、急激な環境変化により産後鬱に似た症状が出ていないかなど。レポートは毎回アルバータ州のFamily Serviceを介してHeartsentに送られ、問題がなければHeartsentがカリフォルニア州最高裁判所に出生届の変更手続きを行う。親権は既に引き渡されているが、私達の子として出生したとする手続きだ。その間に、カナダの市民権やアルバータ州のヘルスケア申請など子育てだけをエンジョイできない日々を過ごした。裁判所から出生届変更の許可が下りるまで約1年、養子縁組の手続きがすべて完了し、今年の5月、無事に市民権がおりた。


最後に
 本当に長く喜怒哀楽の多い道のりだったと振り返る。決して後悔はない。我が子は有難いことに健康ですくすく成長している。正直、9か月お腹にいなかったせいか、母親になり切れず実感がわいて自覚できるまで時間がかかった。きっと父親はこんな気持ちなのかなあと感じる。OpenAdoptionという養子縁組契約のため、我が子には物心がついたら養子であることや生みの母親のことを伝えていかなければならない。そしていつか、生みの母親に再会する日が来るかもしれない。その時、胸を張って我が子を送り出せるような母親になれたらと思う。そして、多くのカルガリー在住の友人達が助けてくれた事に感謝したい。

文:きよ




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