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1月1日、4月1日、7月1日、10月1日に発行される季刊誌です!

2017 October - 短編小説 フォーリン コンセプト

文:山上美香
表紙&小説モデル:山上美香&テリー

 C-Trainの車窓の向こうを流れる街並み。窓際に腰かけてぼんやりと外の景色を眺めているレイコの視線は、時折、窓に映る化粧を施した自分の顔に注がれた。口紅を差したのは何カ月ぶりのことだろう。いつもと違う雰囲気になんだか気恥ずかしくなって、レイコは目を逸らしたが、またしばらくすると、チラリと覗き見るように自分の姿を確かめた。彼女を見返す彼女の表情は、決して晴れやかではない。
 本当にひとりで出掛けてよかったのだろうか。レイコはいつもと違う状況を楽しむよりも、後ろめたさを引きずっていた。
 すべてはあの、夜の会話から始まっていた―――。
「たまには、ふたりっきりで外で食事をしないか?」
 夫、スティーヴがおもむろにそんな言葉を口にしたとき、レイコは喜んだのも束の間、子どもはどうするのよ、と言い返した。スティーヴは、義母がその日は子どもたちのことを見ていてくれるから心配ないと言ったが、レイコは気がとがめた。だからレイコは
「それなら家族で行けばいいじゃない」
と提案した。するとスティーヴは複雑な表情をして、思わぬことを口にした。
「子どもたちの母親をほんのひと晩、いや、数時間だけ休んで、僕の妻であることを思い出してくれないか?」
 スティーヴの言葉にレイコは、切ない気持ちになった。日本で恋におち、カナダで結婚生活を始め、余裕があるとは言えないけれど際立った不足もなく暮らし、ふたりの娘にも恵まれた。娘たちはずいぶん大きくなって生意気な口を利くようになったけれど、親の手を離れる年ごろにはほど遠い。レイコの一日はキッチンの灯りを点けることから始まり、リビングの灯りを消すことで終わる。食事、洗濯、掃除……レイコの時間は家族のために費やされた。夫も娘たちも外へ出掛け、ひとり家に留まる。時々、どうしようもない孤独感に苛まれ、キッチンテーブルで頭を抱えてむせび泣く昼下がりもある。でも、家族のために私はここにいなくてはならない。レイコは自分にそう言い聞かせ、終わりのない家事を毎日そつなくこなしてきた。
 一日を成し終え寝室へ向かうと、ベッドのヘッドレストを背にして本を読む夫に軽い口づけをし、ブランケットにくるまる。話すことはたくさんあるけれど、話すほどでもない。自分も疲れているし、夫も疲れているだろうから、何も求めない。すべては家族のため―――。
 スティーヴもそのことを同じように理解し、納得しているものだと思っていた。
「私はあなたの妻であることを忘れたことは片時もないわ」
 それに女を諦めたつもりもない。
あとの言葉は、レイコの心の中で呟いた。
「だけど、僕たちは出会ったころにはあった、何かを見失っている気がするんだ。それが何なのか、ふたりだけになって語り合ってみないか?」
話し合えば出会ったころの情熱を取り戻せるとでも思っているのだろうか……。怒りというのか悲しみというのか、言葉にできない感情が心の中にふつふつと湧き上がってくるのを感じたが、レイコはフウッと大きく息をつき、それらの思いを封じ込めた。
 C-Trainの駅から1st Streetを下って右手へ入ったところに、スティーヴが予約したレストランForeign Conceptはあった。先に着いてスティーヴが来るのを待っていたレイコは、店の入り口に彼の姿を見つけると、微笑みを浮かべた。軽い口づけを交わし、席に着くスティーヴ。ふたりだけで囲むテーブルはどことなく居心地が悪く、注文を終えると瞬く間に沈黙が漂いはじめた。
「不思議だね」
 スティーヴは苦笑いを浮かべ、ひとり語りのように呟く。
「毎日いっしょに食卓を囲んでいるのに、こうして向かい合って座ると、なんだか落ち着かない」
「そうね……」
 会話は再び途切れ、妙に張りつめた雰囲気に包まれた。押し鎮まった静寂の中、ウェイターが彼らのグラスにシャンパーニュを注ぐ。黄金色の気泡がはぜるのを見つめながら、ふたりはぎこちなくグラスを軽く打ち合わせた。
「ふたりだけで外食をするのは、何年ぶりだろう」
「ずいぶん前ね、きっと」
「毎日顔を合わせ、食事を摂って、ひとつのベッドで眠っているのに、こんなふうにまっすぐに互いの顔を見て語り合うことも、最近なかったね」
「だって、毎日忙しくて、疲れているもの」
「確かに。でも、僕はそれを理由に大切なことをおろそかにしていたと気付いたんだ」
「大切なことって?」
 スティーヴが次の言葉に迷っているうちに、料理が運ばれてきた。
 鮮やかな見栄えの料理は、ひと口頬張るたびに奥深さを感じさせる。
「いろんな気の利いた賞賛の言葉があるのだろうけれど、美味しい料理には、『美味しい』以上の言葉はないわね」
 うっとりとした目をしてレイコが呟いた。
「君の言うとおりだ」
 茶色い目のスティーヴが器用に箸を使って、トラウトのフライを小皿の中で切り分け、口へ運んだ。
「感動が尽きないね」
 鼻に抜けるハーブの香りを楽しむような仕草をして、スティーヴが言った。
「ここのスーシェフは、カナダのシェフコンテストで一位に輝いたんだそうだ」
「それでこのレストランを選んでくれたのね」
「それだけじゃない」
 スティーヴはそこでいったん言葉を切り、シャンパーニュをレイコと自分のグラスに注ぎ足し、喉を軽く潤すと、再び口を開いた。
「僕がここを選んだもう一つの理由は、このレストランがフレンチとアジアンを融合させているからなんだ」
 レイコは黙ったままシャンパーニュを口に含み、テーブルに並べられた美しい料理をひとつひとつ見下ろしたあと、スティーヴに視線を戻した。
「君も気付いただろう、この目に鮮やかなプレートを醤油の風味が見事にまとめ上げているのを。カナダの中で育む僕たち家族のようじゃないか」
 スティーヴの言葉を聞いて、レイコは料理をじっくりと味わった。確かにナッツの香ばしさやハーブの爽やかさの奥に醤油が香る。
「醤油は今や世界のどこでも手に入る調味料で、日本料理以外でも使われるようになった。だからいちいち感動を覚えることも無くなったけれど、なくてはならない存在だ。まるで君のようだよ」
「私のよう?」
「レイコ」
 スティーヴは急に改まって箸を皿に置くと、背筋を伸ばし、レイコをまっすぐ見据えた。
「いつもそばにいてくれてありがとう。レイコに出会えて本当によかった」
「スティーヴ……」
 食事の手を止めて彼の言葉に耳を傾けていたレイコの目が潤んだ。
「僕はこの思いを伝え損ねていたんだ。忙しさなんかでおろそかにしてはいけなかったのに……」
 レイコは微かに鼻を啜り、にじむ涙をこらえるようと俯いた。
「それから、美しい娘たちを僕に与えてくれてありがとう」
「もういいわよ」
 レイコは怒ったような口調で言いながら、ナプキンの隅で目尻を拭った。
「いいや、最後まで言わせてくれ」
 スティーヴは、レイコからひとときも目を離さずに続けた。
「毎日が順調に運ぶことばかりであればありがたいけれど、現実は思うとおりにいかないこともある。ときにはこうしてやりたいようなことだってね」
 そう言ってスティーヴは両手を筒状にかたどって、誰かの首を絞めているような仕草をして大げさに顔歪ませた。レイコはそれを上目遣いに見て、クスッと笑った。
「でも、どんなことがあっても、家に帰れば家族が迎えてくれる。これ以上の幸せはないよ」
「それならこの前、『僕の妻であることを思い出せ』って言った、あれはなに?」
「あれは、自分のことを家族のために身を捧げた犠牲者だと考えないでほしいと言いたかったんだ。僕たちはいっしょに暮らすことを誓ったときから、お互いに得意なことを担ってきたんだよ。君は料理が上手で僕が苦手だったブロッコリーを美味しく食べさせる腕を持っている。僕は長い時間コンピューターに向かい合って数字の羅列を処理するのが苦にならない。君は寝ざめの悪い娘たちを時間どおりに学校へ送り出すことができる。僕は庭の芝を一瞬にして刈り取ってしまえる技がある」
「一瞬だなんて、大げさね」
「僕的には自慢の技さ」
 レイコの苦笑いに、スティーヴは胸を張って言った。
「例をあげればきりがないけれど、僕たちはどちらも従者でもないし、助手でもない。僕たちふたりで家族という船を操縦しているんだよ」
従者でも助手でもない……。その言葉にレイコは、目が覚めるような思いがした。
「それから、もっと人生を充実させたいと考えることは素敵なことだけれど、今ここにある幸せに目を向けてごらん」
「今ここにある?」
「そうだよ。僕なら、愛する妻と娘たちがいる。レイコはどう?」
「私?私は……」
 スティーヴに促されて、レイコも自分を取り巻く世界を見直してみた。
「あなたとお転婆な娘たちがいる」
「それから?」
レイコは小首をかしげて考えた。
「そうねえ……あ、そうだわ、理想の庭付きの家を手に入れたこと。緑の芝生に囲まれた我が家をはじめて見たときは、嬉しさのあまり涙がこぼれそうだった。次はあなたの番」
 幸せだと思うことを互いに語り、聞いているうちに、レイコは身体が温かいものに包まれていくのを感じ、目頭を熱くした。
「私、素晴らしいものをたくさん手に入れていたのね。それなのに背を向けて、苦しみに虐げられたヒロインになったような心地でいたんだわ」
「僕もだよ。手に入れた幸せに目を向けないなんて、なんて愚かなことだろう」
 ふたりは互いに悲しく微笑み合った。
「そしてもうひとつ、僕がおざなりにしてきたものがある」
スティーヴは俯いて胸元をポンポンと軽く叩くと、ふと顔を上げた。
「もう一軒付き合ってほしい場所があるんだ」
 レイコの脳裏に娘たちの姿がよぎる。だが、今夜は夫と最後まで向き合おうと心に決め、スティーヴの誘いを受け入れた。
 レストランをあとにして交差点へ向かって歩いていると、信号が変わろうとしているのが見えた。スティーヴはためらわずにレイコの手を取って、足早に横断歩道を渡った。レイコは握られたままの手にドキドキしながら、スティーヴの少し後ろについて歩いた。
Bar Proofの扉を開いたスティーヴは、カウンター席へレイコをいざなうと、カクテルをふたつ、バーテンダーに注文した。
 しばらくするとふたりの前に、クリームオレンジ色のカクテルが運ばれてきた。
「これはなんていうの?」
 はじめて見るカクテルをまじまじと眺めながら、レイコはスティーヴに訊ねた。
「Park Passと言って、カナダ建国150周年を祝って作られたカクテルなんだ」
 ふたりはグラスを軽く掲げるとカクテルをひと口含んで味わった。レモンの酸味とライの強い刺激の向こうにエキゾチックなスパイスの香りがふわりと漂う。
「なんだか懐かしい味がする」
「CocchiRoseの風味じゃないかな。ハーブとスパイスが上品に絡み合っている」
「そうそう。冷たいカクテルなのに、なぜか山小屋の暖炉で味わったホットワインの味を思い出す」
「Park Pass、まさにロッキーの山並みへの美味しいパスだね」
 レイコはもうひと口カクテルを啜り、納得というように頷いた。
「ねえ、あなた、覚えてる?あの突然雪に降られたハイキングの日のこと」
「ああ、忘れるはずがないよ。凍えながらロッジにたどり着いて……。あの時ほど暖炉の温もりをありがたく感じたことはなかったよ」
 口当たりの良いカクテルは瞬く間にふたりの緊張をほぐし、思い出話が次から次へと溢れた。
 二杯のカクテルを飲み終えたころ、結婚指輪がきらめくレイコの手のひらの上には、スティーヴの大きな手のひらが重ねられていた。
「レイコ」
 低い声で呟いたスティーヴは、内ポケットから濃紺の小さな箱を取り出すと、カウンターの上で重ねていたレイコの手のひらにそれを包み持たせた。レイコはスティーヴの顔を上目遣いに確かめたあと、その箱を開いた。中には、鍵をモチーフにしたネックレスが入っていた。
「これは、僕たちの心の家へのパスだよ」
「しっかり戸締りしておけってこと?」
「それもあるけれど、その家の主はレイコ、君だということを忘れないために」
「スティーヴ……」
 レイコは早速、ネックレスを身に着けて微笑んだ。スティーヴは目を細め、陽だまりのような優しい笑みを浮かべた。
「愛してるわ、スティーヴ」
「愛してるよ、レイコ」
 熱い口づけを交わすレイコの頬に、ひと筋の涙が伝った。
カウンターの上で黄色い小さなランプの炎が揺れ、バーテンダーが振るシェイカーの音がリズミカルに店内に響く。レイコは何も語らずスティーヴの胸に顔をうずめ、小さく震えるレイコの肩をスティーヴはいつまでも強く抱きしめていた。(了)

山上美香(やまのうえみか)
小説家。アマゾンより電子書籍を出版。主な作品、 『ミスティ』、『闇のゆくえ』、『彷徨える愛』、『ひとでなし』。

Foreign Concept 1011 1 St SW, Calgary Website : www.foreignconcept.ca

Proof 1302 1 St SW, Calgary Website: www.proofyyc.com



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