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2019 January - 苦あれば楽あり 高杉 基栄

 Etch Hair Designは今年で開店10周年を迎える。オーナー兼ヘアスタイリストの高杉基栄(きよし)さんは、2店舗目を昨年11月にオープンし順風満帆。28歳にしてヘアサロンを開店した高杉さんを、苦労知らずの御曹司なのではないかと失礼ながら勝手に想像していた。しかしお話を伺うと、実は地道に努力を重ねる実直で思慮深い人柄。人を惹きつけるミステリアスな魅力を放ち、まるでゲームを攻略するかのように人生の困難に挑む若き実業家だった。カルガリーでヘアサロンを2店舗展開する高杉基栄さんの軌跡を辿る。
父親が突然仕事を辞めて、神学校へ
 大阪市三国で3歳上の兄と双子の兄を持つ3人兄弟の末っ子として生まれました。うちの両親は敬虔なクリスチャン。父親は大阪ガス勤務で、母親はシャネルの販売員だったのですが、僕が小学校にあがる前に父親が突然「牧師になる」と言って神学校へ行き始めました。家族を置いて学校に行ってしまい、会えるのは夏休みぐらい。当時お風呂もない狭いアパート暮らしで、母親は働きながら一人で子育てをして、相当苦労していたと思います。小学校4年生の時に池田市に引っ越しました。父親は自宅で牧会をはじめ、昼夜なく訪れる信徒の相談に乗っていたので、子供の頃から小さい子達の面倒はいつも僕がみていました。
昼間は精肉業社でアルバイト、夜は定時制高校
 父親が神学校、母親が仕事で家に居ない環境だったせいか、自立心が強くなったと思います。高校は出ておいた方が良いけれど、親にお金出してもらうのは悪いと思い、昼間は精肉業社で働き、夜は定時制高校に通いました。朝8時半から夕方5時まで働き、5時半から9時までが学校でした。僕は記憶力に自信があり暗記が得意で、肉の種類や細かい部位を表す4桁の肉識別番号を全て記憶出来たので、機械より早いと重宝されました。スーパーの新店舗開店に合わせて4泊5日で出張させられる事が良くありました。その期間は朝3時から夜12時までの21時間労働ですよ。肉識別番号の記憶力は関西で一番と言われ、新店舗用の食肉パッケージ準備で経営陣に同伴することが多くなると、仕事の出来る上司は何が違うのかを僕は常に観察していました。
母の助言と美容師への道
 高校を終える頃、精肉業社から熱烈な正社員の誘いを受けましたが、自分が好きな業界ではないので断りました。ファッションデザイナーか美容師の道に行くか迷った時、母親が「基栄は信徒の子供の面倒見良いし、話をするのも上手い。想像力もあるし、美容師が向いてるんじゃない?」と知り合いの美容の先生を紹介してくれました。私の師匠は大阪府曽根では有名な実力のある方でしたが、ハサミの持ち方が悪いと手を上げる程厳しい先生でした。工場でバイトしながら、その先生の下でしばらく修行しました。今でも日本に帰る度に先生の所で勉強させてもらっています。
親の思惑と期待を背にカナダ留学
 高校卒業時には父親の牧会も順調で、アメリカ人の訪問者も多くなり、父親から「将来は宣教師として働いて欲しいから、留学して英語を勉強してくれないか?」と頼まれました。とりあえず1年という約束でしたが、サスカチュワン州のエストンという町にあるキリスト教のEston Collegeに語学留学しました。9月から4月までカナダの学校に通い、毎夏休みには日本に帰国し、美容師の先生の下で修業し工場でバイトをする生活を3年程続けました。両親はこれを機に僕をキリスト教に染めようという思惑があったようですが、残念ながら信仰にはさほど興味が持てませんでした。それよりも在学中に元妻と出会い、美容の専門学校を出ればワークビザを取得出来ると聞き、1年間カルガリーの美容学校に行きました。卒業後、アングルズという美容室でアルバイトをし、オーナーの協力を得て、ワークビザを申請する予定が実現に至らず。そしたら元妻に結婚しようと言われ、急遽、日本に帰り結婚です。元妻はすぐにカナダに帰り学生生活。僕は、移民のビザが降りるまでの一年間日本に残り、平日は工場で働いてお金を貯め、週末は美容室で働き技術を磨きました。
学生と新移民の貧しい新生活
 移民としてカナダに戻ったのが2006年。美容師として働く為に、履歴書を持って20軒以上あたりましたが、門前払い。最終的にはロシア人オーナーのヘアサロンで、給料制ではなく「面貸し」と呼ばれる個人事業主としてサロンの一部を借りてそのいわば場所代を支払う形態を取ることでなんとか職に有り付きました。場所代は月1200ドル。最初の頃は2000ドル稼いで、手に残るのは800ドルのみ。学生だった元妻もスターバックスでアルバイトをし、自分は朝10時から夜10時まで休みなく働きました。お小遣いは月100ドルという日々ですよ。飛び入りのお客様が来る立地のお店ではなかったので、道行く人にカットモデルを頼み、顧客を増やしていきました。
 当時は、寝ている時も美容の大会に出る夢を見ていたくらいで、ベットの隣にマネキンを置いて、起きたらすぐに実践練習が出来るようにしていました。大変でしたが、楽じゃないほうが自分を強くし、もっと良い人間になれるんじゃないかと思います。技術も同じで、何かを始めたばかりの時は上手くいかないけど、練習し、追及し、繰り返していくうちに上手くなる。その結果お客様に喜んで貰い、自分の技術も向上します。顧客数は1年目は200人、2年目には400人、3年目には800人に増えました。自分は多分、古いタイプの真面目な人間だなと思います。酒はあまり飲めないし、煙草も吸わないし(笑)。

開店の目標を3年後に設定
 勤め先が決まってすぐに、アルバイトの時にお世話になったアングルス美容室の先輩美容師の加藤友美さんに挨拶に行きました。そして、「僕は3年後にお店を持つつもりです。その時が来たら、一緒に働いてもらえませんか?」とお願いしました。そして3年後、友美さんに会いに行き「3年前の話覚えていますか?」と聞いたところ、「お店を開くって話?」と覚えていてくれました。僕の引き抜き依頼を快諾してくれた友美さんには、開店と同時にシニアスタイリストとして働いてもらいました。お店の成功には、腕の良いヘアスタイリストが絶対不可欠。友美さんがいなかったら今のEtch Hair Designはないですね。そして、友美さんが産休に入るタイミングで、幸運にも現マネージャーの大庭つゆきさんが働いてくれるようになりました。この二人は才能があるし、何よりヘアスタイリストの仕事が大好き。僕も含め3人で、常にライバル心を燃やしながら切磋琢磨し、技術を高め合っています。開店当初の2年間は、毎月のローン返済に精一杯。友美さんと朝の挨拶を交わす以外は一言も話す暇さえない程、無我夢中で働きました。
石になるな、スポンジになれ
 昨年11月に新店舗をオープンしました。今特に力を入れているのが、新しいスタッフのトレーニング強化です。うちの店ではスタッフ採用の際に、「技術練習の量が多くて、厳しいです。しかし技術を覚えれば自信がつく。簡単じゃないけど、習得した技術はあなたの財産です。他の人と同じ事をしてても、生き残るのは難しい」と言います。カナダ生まれのスタッフは、ハサミの使い方から全部直す僕の指導スタイルに戸惑い、自分が出来ない事に苛立ち泣いてしまう事もあります。スタッフが将来どこに行っても稼げる美容師になってもらいたいので、「石になるな、スポンジになれ!」と無駄なプライドを取り除き、半年から1年かけて細かい技術指導します。若手の日本人スタッフには、敬語も厳しく指導します。人を尊敬しない言葉遣いでは、その人も尊敬されませんから。
常にスタートラインのマラソンランナー
 最終的に自分が楽をしようと思うと、良いシステムを作らなければいけない。そして効率を良くする為には、優先順位を見極める必要がある。進んで困難な状況に身を置き、乗り越える達成感が好きです。僕は自分に厳しく、人にも厳しく(笑)。マラソンでも一生懸命走ってる人に目が行きますからね。自分も頑張って走るので、惜しみなく努力する人が好き。自然にそういったスタッフが周りに残ります。人と比べると挫折してしまうので、いつも自分自身に負けないように「まだいけるんじゃないか?」と鼓舞します。僕は常にスタートラインなので、これからです。

Etch Hair Design
1410 - 4 St SW Calgary
Phone: (403) 457-5797

Etch Hair Design Core
B1F 203 - 8 Ave SW Calgary
Phone: (403) 475-6870

Website: www.etchhair.com

高杉 基栄 (たかすぎ きよし)
1981年大阪府生まれ。3歳上の兄と双子の兄の三人兄弟。キリスト教牧師の父親の希望で、2001年にサスカチュワン州にある神学校Eston Collegeに3年間語学留学。その後カルガリーの美容専門学校を卒業。2006年に移民としてカルガリーに移住。2009年にEtch Hair Designを開業。2018年11月に2店舗目のEtchHair Design Coreをオープン。




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