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2018 January - 対談 転職の決断、親父は背中で語る

平野啓一✖️中原智則
対談の舞台:Ke Charcoal Grill & Sushi
少年時代
中原:対談のお話しを頂いた時に「こんなキラキラな人と対談?引き立て役?」と聞いてしまいました。バレエダンサーというのは僕の人生の一会に未だ登場していないので、お近づきになれて光栄です。
平野:こちらこそ、物凄い経歴の中原さんのお話を伺うのを楽しみにしていました。
中原:お母様がバレエ教室をされてたとお聞きしたんですが、バレエは何歳から始めたんですか?
平野:お袋は自分がお腹に居る時も踊ってましたが、実際バレエを習い始めたのは4歳です。
中原:子供の頃にバレエをやってる男の子は周りに居なかったですが、子供の頃は辞めたいと思いませんでしたか?
平野:勿論「女の子みたい」と馬鹿にされました。タイツがスケスケで「こんな白いタイツで人前出るの嫌だ、こんなんやってられん!」と、一時期辞めた時もありました。中学受験して、陸上部に入ってから、弟がやってるの見てたら面白そうやなとまた始めました。高校1年ぐらいでどうせやるなら、海外で上を目指したいと思うようになりました。最近知ったのですが、親父は反対だったらしい。バレエダンサーでは家族を養えない、食っていけないと。ところで、中原さんはどちらご出身ですか?
中原:鎌倉出身です。子供の頃から自然、山、木が大好きで、いつも近くの山で遊んでばかりいました。鎌倉の伝統工芸、鎌倉彫(かまくらぼり)の本や、本格的な彫刻刀をお小遣いをはたいて買って、物を作って遊ぶのも大好きでした。

青年時代
中原:はじめてお金を貰って踊るようになったのは?
平野:初めてギャラをもらったのは中学3年生の時です。1999年、ローザンヌ国際コンクールに参加しファイナリスト奨励賞を受賞し、審査員だったトロントのカナダ国立バレエ団の芸術担当者から、留学生として来ないかとスカウトされました。しかし、オーディションに行くタイミングが合わず、とりあえずビデオだけを送ったら、留学生としてではなく、研修生として迎えてもらいました。従来、よっぽど成功している方じゃなければ、まずはバレエ学校からの入団なのですが、そこは免除され入団したのがカナダに来た理由です。中原さん、高校卒業後は?
中原:早稲田大学に憧れていて、一浪の後、機械工学を専攻しました。ちょうどバブル崩壊のタイミングだったので、就職活動が大変でしたね。当時、ほとんどの理系学生は大学の推薦をもらって就職していく。機械工学の中で“熱工学”を専攻していたのですが、自分のやりたいことを強引に伝えたら、推薦もらっていた会社から断られるという普通ではありえない前例を作ってしまい、人生で最初の挫折を味わいました。教授に激怒されましたが、やりたい事をやりたいと言っただけで、何も悪い事していない!推薦いらない!!と教授と大喧嘩。留年して再度就職活動するはめになりました。でも、結果的には自分と向き合う時間が作れたことで、メーカーより自営業の方が自分に向いていると気づく事が出来ました。すぐ職人の道に進むか、金融機関で経営を学ぶか悩みましたが、まずは新卒採用でないと難しい銀行を選ぶことにしました。4年弱で辞めちゃいましたけどね。お金かけて研修いかせてもらって、失礼なことしたと思います。ちょうど、ソフトバンクに勤めてる先輩に声かけてもらって。収益表を作る為に銀行出身者が欲しかったみたい。これが、最初の転職です。インターネットが社会に浸透し始めた頃で、ネットビジネスの立上げ要員として、パソコンも良く分からないのにウエブサイトクリエイターとして採用されました。孫さんと直接話す事は無かったですけど、色んな意味で無茶苦茶な人でしたね(笑)。毎日のように会社に泊まり込んで、毎晩ウエブを更新して、てんぱってた。パソコンと向かい合ってるのも好きじゃないし、やりたい事と相反する。一生出来る仕事じゃないと自覚してる中、カルガリーに住んでる幼馴染と再会し、カナダの話を聞いているうちに、ログハウスを作りたいという熱い想いが込み上げて来たんです。すぐに有給を取って2週間カナダを旅行し、僕の居場所を確信するわけですよ。ワーキングホリデー(以下、ワーホリ)を即申請して会社に辞表を出し、31歳の誕生日の直前にカナダに来ました。
平野:でも、そんな簡単にワーホリ取れませんよね?
中原:僕より長文の手書きの手紙を添えた人は誰もいないと思う。いかに自分が今カナダに行きたいか、今じゃなくては駄目なのか。就職活動失敗した時、やりたい事なんだっけ?と、とことん考え明確だったので、伝わったと思う。ワーホリでログハウス作りを勉強して一年で帰り、将来はログペンションを日本で経営したいと思ってたのですが、ロッキー山脈の大自然の中で遊んだら、一カ月で帰りたくなくなった。カナダに来て、3年で妻と出会って結婚しました。日本人同士だとなかなか英語が上達しないですけどね。平野さんはもともと英語が出来たんですか?
平野:いえ、 高校出た後、1年で帰らされるやろうと思ったら、いつの間にか、これ、生活出来るんちゃうかなと。英語は出来なくてもバレエはサイレントアートなので見様見真似。技の名前は共通で問題なかったけど、私生活は大変でした。とりあえず笑って、頷いとけみたいな。好きな映画を擦り切れる程見て勉強しましたね。かみさんとデートする為に、色んなフレーズを予め練習するという努力もしました(笑)。

再出発
中原:カナダ国立バレエ団を辞めるって即決出来ましたか?
平野:通常、自分の好きな事したいから転職したいとなると思うのですが、自分は逆で、自分のしたい事、やりたい事から離れる理由を探さなきゃいけない。幸せなんですけど、バレエダンサーには寿命があるし、いつか辞めないかんのですよ。それを他人に決められるのではなくて、自分で決めたい。バレエ界に残る、創作活動をするという選択もあるし、他の仕事をしながら、コーチを続けるという選択もあるんですが、中途半端にしたら自分の好きなバレエに絶対吸い込まれる、引きずり込まれる。自分の弱い面も、どんだけバレエが好きかも良く知ってる。綺麗さっぱりするしかない。お袋がバレエスタジオを経営してたから、どれだけ大変か知ってるから、自分の家族にその思いをさせれるか葛藤。家族と一緒にいれる時間を出来るだけ多く作りたい。そうなると、会社に勤めて、会社勤めを利用して、自分の人生を豊かにするという選択もありかなと。いろんな経験をしていないと、お父さんが自分で選んだ道を、誇りをもって歩んできたよと子供に言えませんからね。親父の背中を見て育って欲しい。
中原:バレエを辞めたら、じゃ次は?って悩みましたか?
平野:はい、凄く悩みました。もともと電気器具や物作りにも興味があったので、退団後にトロントからかみさんの実家のあるハイリバーに引っ越し、Southern Alberta Institute of Technology(以下SAIT)に入学して、電子工学を専攻しました。
中原:ゼロの領域に突っ込んでいく怖さ、家族がいたらなおさらですよね。僕は、飲食業やってる時に移民を取ったのですが、飲食業から建築業で起業するタイミングは悩みました。飲食業は時間が不規則で、子供の顔が全然見れない。家族ともっと一緒に居たいという思いが募るなか、自分でやった地下の改装を見てくれた友達が、是非うちのもやって欲しいと注文してくれたんです!これがきっかけで飲食業で働く傍らに改装するようになり、満足してもらえた事に背中を押してもらった形で、起業しました。

両親の影響
中原:中原家は親族みんな公務員の家庭。親父は几帳面で、家族の事を真剣に考えてたのは伝わったけど、全然楽しそうじゃない。自分はやりたいことを出来るだけやって人生を楽しんでる姿を子供に見せたいと思ったんですよね。啓一さんと同様、父は背中で語るみたいな。啓一さんはお母さんが先生だったんですよね?
平野:お袋が先生だから、下手になれなれしく出来ないし、教室では敬語でした。バレエについて、お互い嘘はつきたくないから、意見がぶつかる時もありましたけど、家族みんな仲が良いです。父はビジネスマンでポリシーがあり、会社の事は一切家に持ち込まない。良い事も、辛い事も、残業も絶対持ってこない。揺るがない信念の親父が、よく人生論を語り、僕の土台を作らせようと育ててくれたと思います。


中原:大工の仕事は自分の天職だと思ってて、定年後もやってると思う。可能性という意味では、今出来ない事や、クオリティーを上げ職人としての高みは目指したいけど、物作るって、ゴールの無い世界なんですよ。子供5人とチームで何かしたいですね。いつか子供とログハウスのペンション建てるとか。一緒に物作りして、仕事することって楽しいよ!って伝えたいですね。
平野:素敵ですね。僕はSAITを卒業してから、就職活動するもことごとく空振り。4カ月、どれだけ履歴書送ったことか。一番最後の所に採用して貰えました。僕の経歴にはバレエダンサーしかなく、それが何やねんって思う人事部の人もいると分かっていたけど、賭けに出ました。バレエにおいては一番望んだ夢を叶えたから、とにかく今の仕事で一人前になりたい。機械では出来ない半導体のチップをマイクロスコープで修理する作業は、髪の毛ほど動いたらアウト。ベテラン同僚の邪魔にならないようにしたい。新しい仕事、ごっつい楽しいです。
中原:異業種からの転職、カナダって懐広いですよね。日本じゃありえない。

中原智則
46歳 神奈川県鎌倉市出身。早稲田大学機械工学を専攻後、富士銀行に就職。3年後ソフトバンクに引き抜かれ転職。30歳の時にワーキングホリデー制度を利用し渡加。ログカンパニーで見習いしつつ、飲食業に8年間従事した後、和楽工房を開業。12歳の長女、9歳の長男、7歳の次男、4歳の次女、1歳の三男の父。

平野啓一
36歳 兵庫県尼崎市出身。4歳から母親の経営する平野節子バレエスクールでバレエを始める。高校卒業後、カナダ国立バレエ団に入団。ファーストソリストとして活躍し、2015年に引退。弟は現在英国ロイヤルバレエ団の最高位プリンシパルとして活躍されている平野亮一さん。退団後、トロントからハイリバーに移りSAITでElectronics Engineering Technologyを専攻し、昨年秋からMobiltex Data Ltd. で電子工学技士として勤務。7歳の長女、5歳の長男、3歳の次男の父。


Ke Charcoal Grill & Sushi
カルガリーでは珍しく午前11時から、夜遅くまで営業している旨い本格炭火焼鳥店。変わり種串焼き、寿司・刺身、石焼ステーキ、揚げ物とメニューも豊富。2階には宴会スペース完備。
1501 15th Ave SW, Calgary電話(403)283-3288
kecharcoalgrill.com
営業時間:日~木 11:00am to 11:00pm、金、土 11:00am to 2:00am




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